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凪いだ海のような人がいる

凪いだ海の様な人がいます。

穏やかで、柔らかで、暖かい人は沢山います。

私にも凪はあります。

しかしながら、凪いだ時、
「何かから目を逸らしてないか」
「凪いだフリをしてないか」
と、いちいち確かめるクセがあります。

それは、私の個性だと思っていますが、
なんの引っ掛かりも無く、凪いだ心持ちでいることに憧れはあります。

私の心には、風が吹きます。

そよぐとき、吹くとき、荒れるとき、いろいろな状態があります。

凪いだ海の様な人とて、さざ波が立つことも、波が大きくなることもあると思います。

けれども、基本の構えは凪であり、
凪の状態になんの引っ掛かりも無いことが羨ましいのです。

さりとて、私は心の中に風を住まわせているのです。

かつては、吹き荒れることなど珍しくありませんでした。

いったん吹き荒れたなら、コントロールは効きませんでした。

生きる上でとても苦労しました。


生きづらさを手放した実感があります。

そして気がついたことが有ります。

それは心に風が吹く者は、基本姿勢が「凪の海」の人とは違っている、ということです。

心の中の風は消えて無くなるものでは無い様です。

ただ、自分と向き合い、生きづらさを手放すことで、

風が吹き荒れる前に、捕まえることが出来る様になりました。

風が勢いを増し始めたときに、しっかりと捕まえます。

捕まえたなら、無かったことにはしません。
見て見ぬふりは決してしません。

しっかりと見据え、味わいます。

風の正体は、感情です。

幼い日に無かったことにしなければならなかった感情、
見て見ぬふりをしなければならなかった感情です。

だからもう知らん顔はしません。

捕まえたなら、見据え、味わいます。


基本姿勢が「凪の海」の人とは違って、
心に風が吹く人は、

ひと手間ふた手間かかります。

しかし、外から見た仕上がりは遜色ありません。


私は「凪いだ海」に憧れました。

穏やかで、柔らかで、暖かい人に憧れたのです。

私は心の中の風を憎みました。

吹き荒れ、人生を台無しにする風を嫌悪していました。


けれども今、思うのです。

なんの引っ掛かりも無く、穏やかで、柔らかく、暖かい人には、その人の生き方があり、

穏やかになる為に、ひと手間かかる人には、その人の生き方が、どうやらあります。

「凪の海」の人と「心に風が吹く人」とは、種が違うらしいのです。

「凪の海」の人は、自然にその穏やかさを周りの人に振る舞う様な人生になるでしょう。
愛するし、愛されることでしょう。

「心に風が吹く人」は穏やかさを得る前に感情を見据え味わう、ひと手間が必要なぶん、深い理解に達する可能性を持ちます。

周囲に幸せを配る人、
感情を深く理解する人、

どちらも必要な気がします。
種が違う気がします。

私が「凪いだ海」の人を羨むことは、タンポポがヒマワリを羨む様なものだと思うのです。

生まれついた種として、

生まれついた場所で、

そのままの自分を愛し、

そのままの自分に満足し、

ただ其処に咲くことが、

幸せというものなのではないか、

と考えたりするのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム



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