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撤退:ゴミ問題への取り組みを終えます


はじめに

数ヶ月、ゴミ問題に取り組みましたが、この辺りで一度終わりにしようと思います。
この記事を書くのは少しだけ勇気のいることですが、書かなければいけないという責任感に追われています。少し長くなるでしょうが、摘みながらでも読んで下さると幸いです。
私が勝手に始めたこの取り組みが殆ど光を見ないまま終わりを迎えるという結末は、初めの日から少しだけ予想できていました。自信がなかったと言うよりも、身の程を弁えていたと思いたいものです。

ゴミ問題の概要


このゴミ問題というのは大きすぎるため、どのように説明していくのが良いか分かりませんが、できる限り分かりやすく書こうと思います。
一般家庭を想定して、どのような経路をゴミが辿るのかを説明しておきます。

①商品を買うと、ほぼ100%ビニール袋に入れる。
客はビニール袋を断ることはできますが、断る人はまずいません。様々な理由があると思いますが、主因は砂煙の上がる道で商品が汚れるのを防ぐためでしょう。または、商品に小細工をされないためかも知れません。信用社会から少し離れているこの国では、食事中の飲み物などに毒を盛られないようにと習慣化している行動が幾つも有ります(実際にそのような現場を見たことはありません)。つまり、買い物でも商品に小細工をされないように気を付けている節があるのです。
従って、大量にゴミが出てくる現状を止めることは難しいのです。

②商品のパックやビニール袋はそのままポイ捨て。
これが最大の問題です。前にも書きましたが、各家庭にはゴミ箱なるものは基本的にはありません。多くの家庭は家の前の道路にゴミを貯めて、夕方になると火を付けます。ポイ捨てが環境に悪いことや、有毒ガスが環境と健康に悪いことを知っている人は少しだけいるようですが、それがどれほど深刻かを理解している人はほぼいません。私たちの家のように有料回収会社を雇っている家庭は一定数ありますが、その回収されたゴミがの辿り着く先は工場ではなく自然が作った地上の大きな穴だと思います(確証はないですが、このような例は他国でもあります)。

ゴミのない景色を撮る方が難しい

③ゴミ処理方法は結局ない
これがなければ、いくらゴミについて考えても限界があります。最初の日からこのことは分かっていましたが、私の取り組みはあくまでもこの国にゴミ処理技術が入ってくるまでできるだけゴミを出さない、増やさないようにしようという目的でしたので、細かいことは書かないでおきます。

つまり、①と②は私が手を出せると判断したところでした。しかし、どちらにも覆りにくい理由があったという訳です。
結局のところ、理屈で突き詰めると人々の行動には一貫性はないことばかりです。例えば、自分の家にゴミ箱があっても、庭に当然のようにポイ捨てをする女性達が次の日の朝にはそれらをほうきで集めてゴミ箱に入れます。最初からゴミ箱に捨てれば良いのにと日本人なら誰もが思うでしょう。風がゴミを飛ばしてくることも、来客がポイ捨てして帰ることも要因かもしれませんが、そうでなくても理解困難なことは多いです。

何が難しいのか

私がポイ捨てを止めるためにやったことは、ゴミに価値をつけるという行為でした。それはアップサイクルと呼ばれているらしいのですが、この考え方はまだまだこの国では受け入れられないのです。ゴミはゴミ以外になり得ないのです。

子供たちはもう少し考え方が柔軟で、ゴミから何かを作るのを楽しんでくれましたが、それは彼らの遊びの中の一つになったというレベルです。それも僕と何かする時の一つという意味です。確かに、「ゴミを生まれ変わらせる」という発想そのものについて、子供たちの誰かが意味を見つけた時、私の取り組みは終わっていなかったということになるかもしれません。しかし、それは少し夢を見すぎている気もします。


初めの頃、多くの子供たちと共に

街に出ると、前と変わらず交差点付近に難民らしい子供とその母親が、暑い中小さな陰から信号待ちの車やバイクに物乞いをしています。テロによる難民です。私は彼らのような人々にゴミからモノを作る技術を教えて、一つの仕事にできないだろうかと考えていました。
しかし、難民というのはテロリストの家族も含まれていると知りました。彼らは少しのお金でも田舎でテロ活動をしている夫や親戚に送るというのです。真相を確かめる方法はありませんが、そんな嘘があるとも思えません。難民という立場の人々に対しての感情は何も変わっていないのですが、この国についてあまり知らない私が迂闊に手を出してはいけない部分だと感じました。海外NGOによるテロリスト難民に雇用創出をするといった旨の取り組みが、この国には沢山あるのですが、そのお金がテロリストに回っている可能性を彼らも本当は排除できていないはずです。なぜなら、誰がテロリストなのか政府でさえしっかり認識できていないのが、ブルキナファソの現状だからです。

草鞋を初め、作ったモノの需要はある程度ありました。黄色人(黒人ではないということがポイント)である私が持っているモノを持ってみたいという理由が多かったと思うのですが、これは最初の日から予想できていたことです。ここの人々は先進国民への憧れが強いからです。
最初はそのような理由からでも始まって、多くの人々が草鞋などの品物を持つことで自分も持ちたいと考えることを狙っていました。しかし、難しかったのは
「タダでくれ」
という人々があまりにも多かったことです。本当に多くの人がそうでした。白人や黄色人はお金持ちなのだから、タダでくれても良いだろうという考えです。この考え方はもう長いこと蔓延しています。しかし、同時に人々は公平さを求めます。つまり、誰かにタダであげればそれ以降はずっとタダであげなければいけません。噂はよく広がるので、あの黄色人はサンダルをタダでくれるという情報がそこらじゅうに流れるのは火を見るよりも明らかです。
そうなると、私がこの国を離れた次の日から誰も草鞋を作る人もゴミを拾う人もいなくなるでしょう。お金にもならないのにゴミを拾う理由はないからです。

ざっと掻い摘んで書くと、このような経緯がありました。八方塞がり状態になりました。

認知度は低くなかった

私が取り組みを辞めようと思い始めた頃に、ある人のグループから連絡がありました。私がこの取り組みを始める直接的なきっかけになった、ケケというフランス人女性の持っているプロジェクトグループからでした。このnoteの初期の方に書いているので、思い出せない方は少し読んでみてください。

私が作るものに興味があるから、ぜひ一度見せて欲しいといったような話でした。しかし、結論から言うとプロジェクトリーダーであるケケとはミーティングの機会をもてなかったのです。いくつか理由はあって、これはこの国で反仏感情が高まっているからかも知れませんし、それとは関係の無いものかもしれませんが、いずれにしても、こういう運もついていなかったとだけ言っておきましょう。
ただ、少しだけ誇りを持って言っておきたいのは、私の取り組みの認知度は私が住んでいる地域周辺では高かったということです。先程言及した噂が広がりやすいことも助けとなり、一人の黄色人がゴミを使って様々なものを作っているということは、良い印象とともに広がっていたようです。私が外に出ると様々な場所で「サンダル作ってるんでしょ?写真ある?私にもちょうだい!」といった具合に話しかけられることが、今でも多々あります。珍しさに対しての好奇心からそのように言っているのだと思いますが、それはやはり嬉しくも思います。

本質は何だったのか

私は問題を解決するためには、いかに正確に本質を見抜くかということが重要だと思っています。このゴミ問題についても最初に本質は何かということについて少し触れたと思います。しかし、今回、大きな枠での本質は何か、意外にも簡単に分かったのです。この問題について考えて知っていく中ですぐに分かったのです。
資本主義経済が生み出した大量生産大量消費社会こそが疑いようもなくゴミ問題の本質なのです。ゴミ問題について目を向けた私自身の最大の成果があるとすれば、それはその社会の中に生きる1人の人間として責任を放棄せず、問題の改善について意識しながら生きていけるということでしょう。それはとても小さなことですが、とても重要なことであり、根本的な解決策なのです。

日本などの経済大国で大量に消費され、捨てられる服やぬいぐるみ、カバンなどの多くは発展途上国に送られています。それは埋め立てのために送られているものもあれば、古着ビジネスやリサイクルという名の元、送られているものもあります。まだ使えるのに勿体ないからというニュアンスで送られています。しかし結局、この2つは全く同じことをしています。途上国にゴミを送っているという意味です。そういうものがゴミになり、自然の中に捨てられていく様を幾らでもこの国で見ました。途上国で廃棄すれば先進国は綺麗に見えるのは当然なのです。
ここまでに書いた幾つかの小説の中に、色々と詰めているので、あとはそちらに任せることにします。


ここには日本を初め、先進国から送られてきたであろう古着やモノがたくさん捨てられています。これを見て皆さんは、『古着ビジネス』や『途上国支援』に何を感じますか


ブルキナファソのゴミ問題の本質が大量生産大量消費社会であると言われても全くピンと来ないと思います。しかし、この国はきっと皆さんが思っている以上に先進国に近い社会形態をしています。モノを買い、消費する度に大量のゴミが出て、そのモノは長く使えるようなものではなく、そう遠くない未来で買い直さなければいけない。食品にしても、土に戻らないビニール袋やペットボトルに入れ、昔から使われていたような、地球にやさしく真にサステイナブル(持続可能)な入れ物は使われなくなり、同じように環境にやさしいあらゆるものが失われています。

プラスチック製品なども多いが、水を冷やすための瓶(かめ)や木の桶など、自然に戻るモノがまだ少し残っている

ポイ捨てしても良いもの


ポイ捨てしても良いものが、本来はあります。多くの動物が闊歩するこの国では、バナナの皮など生ゴミとして扱われるあらゆる食品破片はポイ捨てして良いのです。

羊だけでなく、ヤギ、馬、ロバ、ブタ、牛、ニワトリ、七面鳥など多くの動物がその辺を歩いている

土や木など自然のものだけでできたものならば、その辺に捨てても良いのです。日本ではそれさえも許されないほど社会は進んでしまいましたが、本来は問題ないのです。
かつて、ブルキナファソ人がやってきたようにポイ捨てしてもそれが環境の中に溶け込み循環の一部として有効に働くものであれば良いのです。ポイ捨て文化はある意味、人間がこの星に生きる他の生物と同じような存在であることの象徴であると思います。つまり、本来は今のような自然に戻らない変なゴミなど無かったのでしょう。

皆さんへ

毎回、長い文章を読んでくださった皆さん、高評価、シェアをして下さった皆さん、今日私が冒頭に述べたような勇気を持ってこの記事を書くのは、間違いなく皆さんに感謝を伝えたいからです。本当にありがとうございました。
私は、皆さんが私を評価してくれたことや、応援してくれたことと同じくらいかそれ以上に、同じ方向を向いてくれていたことを嬉しく思っています。それは、私の取り組みが終わっても皆さんは私と同じようにその方向を向き続けることが、手に取るように分かるからです。名前も顔も知らない方ばかりですが、これは一種の信頼です。重いものではありませんが、綺麗なものだと思います。

ゴミ問題と環境問題はとても密接した関係にあると思います。そして、その2つは強大なものですが、元はと言えば取るに足らない小さなことの積み重ねです。初めに言った通り、私たちは小さなことの積み重ねが大きなことを生み出すという証明を既にしているのです。一人一人の無責任な行動が今のような大きな問題を引き起こしたという意味です。そして同時に、一人一人の意識した行動がこの問題を改善させることができるであろうという希望です。
今、私たちがやらなければいけないことは、法律を変えたり、会社を潰したりといった大きなことである必要はなく、日々の生活の中で不要なものを差し引いていくことだと思います。それは小さなことですが、それがきっと本質なのです。

私が読者の皆さんに持っている信頼というものは
「皆さんのような人が増えれば、問題を変えていける」
という意味だと思います。
人の言葉に耳を貸し、我が事として受けとめ、自分の中で噛み砕き、少しずつでも実践していく。

エリーゼへ

最後に、この数ヶ月、私の相棒と言えそうなほど一緒にモノづくりをやってくれた8歳の少年を紹介します。彼は最初の日から他の子とは全く違いました。それは今もそうですが、彼の学ぼうとする姿勢には感服するばかりです。
草鞋作りでも何でも時間がかかるものを見ていると、子供たちは途中から喋りだして遊びだして、終いにいなくなってしまいます。しかし、彼は僕が何も言わなくても僕の隣に自ずと静かに座り、表情を変えずにひたすら観察し、手順と技術を覚えていったのです。彼は僕のためにビニール袋を集めたり、荷物を持ったりしてくれようとする優しい子でした。しかし僕としては、彼を部下のようにはしたくなかったのです。ビニール袋を拾い集めるのも、ビニール袋を割くのも、ゴミを詰めたり、荷物を運んだり、水を飲んだりするときでさえ、僕らは同じでありたかったのです。年齢というものが大きな基準になっているこの国では少し困難なこともありましたが、それでも僕は彼を部下ではなく相棒と呼びたいと思っています。
彼が私をゴミ拾いに連れ出したことも、私に朝からモノづくりをさせたことも、何度もありました。彼は間違いなく私のこの取り組みにおけるエンジンだったと思います。ありがとう、エリーゼ。

もちろん、他にも一緒になって手伝ってくれたり、楽しんでくれたりした子供たちは数え切れないほどいましたが、エリーゼはずば抜けていたと思います。私がこの技術について正確に教えきれた子供は片手で数えられるほどですが、彼らがそれを何かの形で生かす日が来るのなら、またブルキナファソに来なければいけませんね笑


エリーゼ

ありがとうございました

長くなってきたので終わりにしましょう。ケケのグループからミーティング要請があれば受け、この取り組みは再稼働するかもしれません。また気が向いたら新作でも作るかもしれません。乾期になるのでビニール袋は拾いやすいですし、エリーゼに引っ張られて再開するかもしれません。ただ、この章は一段落です。
前から時々やっている(最近は雨が多くてあまりやっていませんが)素人ゴミアート、これはもう少し続けてみようと思います。小説ももう少し続けてみようと思います。この国だけでなく日本を含めたあらゆる国のゴミ問題を諦めたくない気持ちは初めの日から変わらず強いままです。
長く読んでいただきありがとうございました。

学校の前です。余ったノートを配布しています。ご自由にお取りくださいという状況です。
2時間後にはこの状態。これが今のブルキナファソの一面です。

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