life_in_westafrica

西アフリカのブルキナファソという国に9ヶ月間滞在しています。この国に溢れかえるゴミを見…

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西アフリカのブルキナファソという国に9ヶ月間滞在しています。この国に溢れかえるゴミを見て、ゴミ問題に少しだけ取り組みました(終了)。 滞在は来年1月までです。

最近の記事

撤退:ゴミ問題への取り組みを終えます

はじめに数ヶ月、ゴミ問題に取り組みましたが、この辺りで一度終わりにしようと思います。 この記事を書くのは少しだけ勇気のいることですが、書かなければいけないという責任感に追われています。少し長くなるでしょうが、摘みながらでも読んで下さると幸いです。 私が勝手に始めたこの取り組みが殆ど光を見ないまま終わりを迎えるという結末は、初めの日から少しだけ予想できていました。自信がなかったと言うよりも、身の程を弁えていたと思いたいものです。 ゴミ問題の概要 このゴミ問題というのは大きす

    • 昔の地球【環境問題小説】

      玄関先に立った7歳になる息子が私の方を見て、ニコニコしている。私はその小さな顔の鼻と口を塞ぐ空気清浄マスクを付けてあげる。 それを少し遮って、息子は相変わらずニコニコしながら唐突にこう聞いてきた。 「パパ、昔の地球はどんなところだったの?」 それはあまりにも深く長く、一言で答えることはできない質問であった。私がこの星に生まれてから50年と経たないのに、私が小さな頃生きていたこの星はもう姿を変えてしまった。なくなってしまったようなものだ。散歩に出るために空気清浄マスクなんてし

      • 迫り来る雨音【環境問題小説】

        前日に降った雨が土の道路に水たまりを作り、そこを行く車が水を通行人にかけながら走り去っていく。 一人の青年が泥水をズボンの下半分にかけられて、それでも怒ることもなく喫茶店に入ってきた。 「リプトン1つ」 青年は愛想よく店員の女性に声をかけた。店員は悪戯っぽく笑いながら 「冷たい水は要らないの?」 と聞いてきた。このやり取り、もう1週間連続である。青年は 「要らない要らない」 と笑いながら断った。 青年は隣にいた客に会釈しながら挨拶をした。その奥の人にも挨拶をした。知らない人で

        • ブルキナファソのアンジ【環境問題小説】

          西アフリカの世界有数の貧しいブルキナファソという国に、あるアメリカ人が降り立った。世界中を旅することが彼女の人生の目標でもあり、生き甲斐でもあった。 世界的に成功した飲料メーカーの幹部の家に生まれ、何でも手に入れられることを知って生きてきた。カナダに行くことも南アフリカに行くことも日本に行くことも彼女にとっては簡単で、同じだった。世界のどこへ行っても、いつも見たことないものが彼女を覆って、いつも新しい何かが彼女を包んだ。 西アフリカの小さな小さなブルキナファソという国に、彼女

        撤退:ゴミ問題への取り組みを終えます

          音楽(芸術)は環境問題を改善できる:発信のもう1つ手前の話

          環境問題という逃げられない問題が、私たちの上の世代から引き継がれ、恐らく私たち以降の世代まで宿題となって、いや連帯保証として人々の頭を悩まし生活を脅かすことは前回までに書いている。 活動家が陸上競技場に侵入した理由は何か 正直にいえば、人工知能やスマートフォン、そして軍事的な技術などがこれ以上進歩しなくても、未来の世代は何も困ることはないが、 「隣の国が開発を止めないのであれば、自分たちだけがそこに遅れをとることは受け入れ難い」 と言って、犠牲とリスクを引き換えに開発を進め

          音楽(芸術)は環境問題を改善できる:発信のもう1つ手前の話

          どこか遠くの活動家ではなく、皆さんと同じような日本人である

          環境問題や社会問題を語るにあたって、いつも意識していることがある。ブルキナファソという、ほとんど聞いたこともない国にいる青年の言葉だという風に伝えたくはない。 どこか遠くの話で終わって欲しくない。 ※ 時間がない人は「海外に行かなくても私たちは環境問題を見ることかできる」からどうぞ。 活動家の卵だから分かること私はここ、ブルキナファソに今年の4月に来た。それから、道や空、川などに溢れかえるゴミを見てゴミ問題に取り組みたいと思った。少しして、それが環境問題の大部分であると分か

          どこか遠くの活動家ではなく、皆さんと同じような日本人である

          本当に「子供たちのために」

          子供たちのために? 「子供たちのために」というフレーズを聞き飽きて10年くらい経つ。それでも時として、聞き飽きたフレーズに再び耳を傾けようと思う時が来る。そういう時は決まって人の熱さに耳を傾けている。 前にも書いたが、「SDGs」が謳われ始めると情報社会ゆえに何処でも何時でもみんながこの言葉を使うようになる。それは国の補助金欲しさであったり、企業イメージアップのためである場合が殆どで、少し掘り下げてみるとSDGsとは真逆のことを、同じ会社が別の事業などで堂々とやっていたりする

          本当に「子供たちのために」

          アブラヤシの誤ち、シアバターの二の舞:壊してはいけないもの

          ブルキナファソの現在 私はアフリカのブルキナファソという所にいる。この国は外務省が定める危険レベルが首都ワガドゥグは3(渡航制限)、その他の地域はレベル4(渡航禁止)である。これは外務省がフランスの政府と話し合って決めていることであり、ワガドゥグもテロリストが介入すればたちまちレベル4に上げられる。おかしな話だと思うだろう。ブルキナファソの日本大使館は現地の状況を最もよく知っているはずだが、危険レベルの判断に口を挟めないらしい。国内にいるからこそ分からないことも多いということ

          アブラヤシの誤ち、シアバターの二の舞:壊してはいけないもの

          山登り【小説】

          【父編】 よく晴れた日は家族で登山に行くと決めてるんだ。耳の聞こえない妻と、中学生になったばかりの長女と小学三年生の長男を連れて、車で行ける範囲の山に行くんだ。僕は1人でも登山に行くけど、そういう時は遠出して1500メートル超の山を登る。家族で行く時は、そんなに高い山は登れない。500メートルがせいぜいだろうね。それだって登れない時もある。 この前の祝日に揖池山に行った時も、あそこは650メートルくらいしかないけれど、頂上まで登ったのは僕だけだった。登山道が幾つかあるけど、で

          山登り【小説】

          お金のなる木【小説】

          レヴはネットサーフィンが好きで、いつもパソコンの前に座ってキーボードを叩いていた。良い年になっていたが、ろくに働きもせず、心底愛していた両親が遺してくれたお金を切り崩しながら生きていた。けれど、そのお金がそこを尽きるのも時間の問題であろうとレヴは分かっていた。ただ、いよいよその時が来るまではろくに対策も考えないタイプだった。昔から学校の夏休みの宿題を最後の3日でどうにかしようとする性格だったが、レヴは実際にそれである程度どうにかしてきたがために、相変わらずその性格は変わってい

          お金のなる木【小説】

          辞めるのは簡単:大量生産にアイデアと工夫で勝負する

          ベナン人との出会い先日、紹介で面白い人物に会った。私が、ビニール袋やプラスチック袋などのゴミを使って、誰でも作れて、みんなが使えるものを作っているということに興味を持ってくれた人だった。ベナン出身でウクライナ留学歴を持つ、ビジネスマンだった。彼は私と会ったあと、2時間ほどに渡って彼自身が手掛けてきたビジネスの話をした。写真を見せながら流暢な英語で説明してくれた。自転車のタイヤを使ったハンガー掛け、靴、小物入れなど少し可愛いようなアイテムをたくさん世に出しているらしかった。彼は

          辞めるのは簡単:大量生産にアイデアと工夫で勝負する

          奇跡の世代:いつだって推せる背中がある訳では無い

          奇跡の世代にいれたらと思う。何か大きなことをやろうとすると、自分の小ささと微力さを感じるだろうし、それは最大でいえば80億分の1なのだから当然だろうけど、もっと小さな規模でも同じようなことを感じる。 大学時代の苦い経験大学時代に留学生関連の団体に所属していた。留学生はJICAや政府の派遣で来ている人もいて、彼らは日本語を話せないことが多い。経済やビジネスモデルを学びに来ているため、日本語を勉強することは目的ではないし、そんな時間もない。私の大学は声を大にして、そのような留学

          奇跡の世代:いつだって推せる背中がある訳では無い

          ゴミ拾いが趣味になる日

          ゴミ拾いが趣味になる時ゴミを拾うことの目的は、地域美化だったり環境問題改善であったり色々あるだろうが、ゴミを拾った先で、何かを作るという目的があるとゴミを拾う時の気持ちはガラリと変わる。 例えば、私の場合は主にビニール袋を拾っている。ビニール袋は紐に生まれ変わり、ベルトや草鞋(わらじ)になり、ボールにもなる。ブルキナファソの袋は大抵が真っ黒で、デザインなどはない。日本だと白が主流だが、この国では白い袋はあまり見かけない。黒い袋ばかりを拾うことになるが、時々青くて大きな袋や黄色

          ゴミ拾いが趣味になる日

          目を背け続けて良いのか

          目を背けてはいけないことがあると思う。誰にだってあるだろうけど、目を背けてはいけないことが目の前に来た時、逃げ出したくなることがある。それは、目を背けてきたからかもしれない。 あなただけのことを言っているわけでは無い、私は私に向かってもこの文章を書いている。 みんな知っていること世界には、貧しく今日のご飯を我慢しなければいけない人々がいることを、日本人なら誰しもが知っている。世界には、学校など到底行けず、10歳から、非常に低い給料で働いている人がいることをみんな知っている。

          目を背け続けて良いのか

          ゴミを渡す少年、受け取る青年

          こんなゴミも使えるのか 前にも書いたと思うが、家の近くに魚屋がある。その店の前によく大きな水色や緑色の袋がポイ捨てされている。夕方頃に通ると大抵ある。 広げると2メートル×1メートルにもなるだろうその大きさと、見るからに生臭そうな見た目は拾う気を奪うが、それを拾ってこそだと思い、先日勇気を持ってそのゴミを拾い上げた。想像以上の汚れ方だったが、1度拾ったものをその場に捨てられるような状況でなく、大人や子供たちが見ていたこともあり拾い上げて家に持って帰った。一緒に拾っていたエリー

          ゴミを渡す少年、受け取る青年

          ゴミを拾うことは自己満足なのか

          自己満足という言葉が少し前に流行った。 大抵の場合、悪い意味で使われるが、本当は自己満足をすることが生きていく上で大切なことであると、それを言うだけの回である。 私は自己満足でやっている節もある「ゴミ拾いをすることは自己満足である」、そんな心無いコメントを散見するが、それはある意味で正しい。 私が、ブルキナファソに着いたのは4月半ばであった。それから3日と経たないうちに、人々が当たり前にポイ捨てをする国だということを知った。空や川、土の中、路上の至るところにゴミが溢れている

          ゴミを拾うことは自己満足なのか