見出し画像

ゴミで草鞋を作る

ゴミで草鞋を作ろうと思いついた日


ケケの「Bogoke Projet」に少しだけ触発されて、私がゴミを使って草鞋(わらじ)を作ろうと思いついた日は、イスラム教のラマダンが開けることを祝う祭日だった。ブルキナファソは国民の多くがイスラム教である。私のホストファミリーやこの近所の多くの人はイスラム教ではない場合も多いが、祭りには良い意味で巻き込まれる。私のホスト(マブドゥ)でもある音楽家たちはバイクで多方面に出向き祝いを音楽で後押しするため、彼らにとっては稼ぎ時である。そして、あらゆる場所でお祝いをしている間、子供たちは近所の家を順番に回ってお金を貰うという。ちょうどハロウィンの日に子供たちがお菓子をもらって回るように。つまり、この日、子供たちのポケットには幾らかのお金があり、祭りの意味など何も分かっていないであろう彼らにとっても特別な日になる。私は家で母とセミケン(この家で見習いをしている16歳の女の子)と3人で留守番であった。昼時には近所の人が料理をもって私たちの家に次々に届けてくれた。マブドゥが如何に人々に慕われているかがよく分かる。
昼を過ぎて、私は日本から持ってきていた白いビニール紐を縦糸として(実際に草鞋作りを教えてもらった時もこれを使用していた)、家の中で集めたビニール袋を横糸として小さな草鞋を作ることを決めた。人生でたった2回目の草鞋作りである。
横糸は正確に言うと紐である必要は無い。細長い状態のものであれば良い。幸運にも、祖父の形見である小型ナイフを日本から持ってきていたため使った。

人生で2度目の草鞋作り


想像しながら読んで欲しいのだが、ビニール袋の持ち手の穴の部分から下に向かって割き、持ち手の上の部分を切ると、およそ長方形状の形になる。元々の袋が縦40センチ横25センチであれば、切った後は縦80センチ横25センチの長方形になる。この状態から幅5センチ強で縦に並行して切っていく。工夫すれば、この大きさの袋から6〜7枚ほどの横糸が得られる。あとは、縦糸の上と下を交互に横糸を通していくだけの作業である。


袋を細長く切って横糸にした


三つ編みで作った紐。
これだけでも売り物になりそうなほど綺麗だと思わないか


いくつか不安な点はあった。まず、靴底は十分に厚くなるのかという点。しかし、ここは特に問題なかった。分厚ければ安心感があるだろうとは思うが、この国で人々が履いている中国製の安いサンダルと同じほどの厚さにできあがった。今になって考えると、偶然だが横糸を作る時に幅を5センチ強にしたことが正解だった。この幅が細すぎると恐らく薄い靴底になってしまっただろう。それからもう1つ不安だったことは、実際問題どれくらいの枚数の袋を使うことが出来るのかということだった。多すぎるのは良いのだが、少なすぎると、路上ゴミを減らすという目的を達成することが困難になるからである。しかし、これは杞憂に終わった。15センチの靴を1足を作るのに、30枚以上の袋を要することが分かった。鼻緒の部分は3枚の切ったビニール袋を編んで紐とした。


今みると完成度が低い

あれやこれや考えながらも草鞋を作っていると、途中から12歳ほどのいつもニコニコしている少年がやってきて、熱心に隣に座って見ていた。私は共有語であるフランス語も現地の言葉も知らなかったが、彼が途中から何を作っているのかを聞いていることが分かった。私は靴底だけ仕上がっていた片方を見せて、足に当てて履くものだと伝えた。彼は興味深そうに長らく見て、終いに自分に作ってくれと頼んできた。私は渋った顔をした。というのも、草鞋作りをしていると、お尻と腰が非常に凝ってしまう。そして、慣れていないうちは長時間することになるため尚更であるし、1つ完成させるのに3時間ほど要していた頃に言われた為であった。すると少年はポケットから、その日誰かから貰ったであろうコインを2枚ほど出して、戸惑いながらも見せてきた。彼は首を捻ってまた直ぐにしまったが、この国で黒人の子が白人に向かってお金を払おうとするのは、珍しいことらしく、マブドゥに後日話した際には非常に驚かれた。とにかく、どれほどのものができているのか、履きやすさはどうなのか、壊れないかなど課題山積だった私は彼に売るつもりはなく、お金をポケットにしまった彼に、名前を聞いた。
彼はカリフという。私は彼に試用人になってもらおうと考えた。彼は足のサイズが27センチほどで、大人とほぼ変わらなかった。そのため、彼がある程度履いて壊れなければ強度に問題ないのではないかと考えた。それから、履きやすさについても彼に聞いてみるのは手だと思った。既に作っていた15センチの草鞋はホストの6歳の子供(イスマエル)に試して貰うことにして、カリフ用の草鞋作りを引き受けることにした。きっと彼が履いて回ることで、この草鞋を近所中に広めるための良い広告になるだろうとも思った。

道に出てゴミを拾う


私は彼を連れて道に出た。左右に大人と子供がたくさん座っている道である。道端の草木や路上、店の木の柱、ゴミはいくらでも落ちていた。使えそうなのは、ある程度細長さを保ったビニール袋である。大きさはそれほど拘る必要はないが、水溜まりに落ちているものや中に生ゴミが入っているものは流石に避けてしまう。道の途中に空き地が現れ、ゴミが大量に溜まっていた。私はそのゴミの中に入っていく気が起きなかったが、カリフは迷いなく入っていき、使えそうなビニール袋を拾っては集めた。
「ここで選り好みをし過ぎるようではいけない。ゴミを無くすためには、できるだけ全てのゴミを使わなければいけない」そう自分に言い聞かせて、多少汚くても拾おうと努めた。言うのは簡単だが、やるとなると話は変わってくる。自分の中でこれまでに築き上げ(てしまっ)たハードルを変えないといけないのだから。つまり、衛生感や清潔感に対して、抵抗していかなければいけないのだから。しかし、カリフが隣で黙々と拾い集めているのを見ると、私のハードルはどんどん下がって行った。手は洗えば良いのだから、そう思えてきた。
30枚ほどのビニール袋を拾って、一段落した気がして、家に向かった。人々はなお珍しそうに見ていたが、家の手前の最後の角の美容室の女性が、遂に話しかけてきた。カリフは私の代わりに私が履いていた布製の草鞋を指さしながら、これを作るのだと説明してくれた。女性は私に見せてくれと言い、人の髪の手入れをしている最中であるというのに、躊躇せずに私の履いていた草鞋を手に取り、熱心に見ていた。そして、私にも1つくれと伝えてきた。

私は嬉しかった。私がアフリカ人でないからだろうが、人々は草鞋に強い興味を示していると感じた。そして、話しかけ、見て、くれとまで言ってきた人がいる。外を歩いた時間は20分もないだろう。そして、今日はお祭りの日で、いつも以上に人は少ないのにである。
まだ初日、作れるかどうか自信もなかった4時間前、人生で2度目の草鞋が、初めてビニール袋で作った草鞋が形になったことだけでも嬉しかったのに、そこから2時間で1人の少年が欲しいと言い、その2時間後に大人が欲しいという。彼女は買うのではなく、貰おうとしているのだろうけど、そんなことは今は重要ではなかった。

子供たちが教えてくれること

もし、このゴミで作った草鞋が売れるのであれば、このビジネスは成立する。このビジネスが成功すると言うことは、1つにはこの国の道を綺麗にできるかもしれないということであり、1つにはこの国に溢れる仕事のない人々に初期費用ゼロ(材料は道に落ちているビニール袋だから)の新しい選択肢を与えることになる。私は自分がやり始めたことに少しだけ可能性を感じた。

私はこの日、このゴミ問題に草鞋ビジネスという形で、少しだけ取り組んでみることに決めた。そして、子供たちを巻き込んで一緒にやってみたいと思った。子供たちは興味を持って物事に取り組む。私に認めて欲しい一心の子も多いが、とにかく一緒にゴミを拾ってくれるだろうと思った。私はここの言葉は何も話せないが、子供たちは大人たち以上に言語に頼らないで話してくれる。そして、子供たちはゴミをそれほど選り好みしないで拾ってくれる。動物の糞が付いているものや異臭の酷いものは流石に避けるが、濡れてるだけだったり、中に土が入っている程度では何も嫌がらない。私は子供たちに学ぶことは多いと思った。そして、子供は大抵の場合は大人より素直で教えたことを遂行してくれる。
この国では子供のコミュニティというものは重要である気がする。人と人との繋がりが強いため、どのコミュニティも重要であるが、子供は特に右の子がやっていることを自分もしようとする。その規模はとても大きく、何か始めるときに彼らを仲間にすることは、歩く広告を大量買いするようなものだ。

この日、カリフに背中を押されるような形で私のプロジェクトは始まった。ただ、少し夢を見ながらも、この日の私はまだ少しだけ取り組んでみようと思っただけだった。成功しても失敗しても傷つかない程度にしようと思っただけだった。
この後、私はマラリアに感染し、体調悪化により草鞋作りはストップしてしまった。カリフに草鞋をあげたのは2週間近く経ったころだった。それでも彼は嬉しそうに草鞋を履いて自分の家に帰った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?