見出し画像

アブラヤシの誤ち、シアバターの二の舞:壊してはいけないもの

ブルキナファソの現在


私はアフリカのブルキナファソという所にいる。この国は外務省が定める危険レベルが首都ワガドゥグは3(渡航制限)、その他の地域はレベル4(渡航禁止)である。これは外務省がフランスの政府と話し合って決めていることであり、ワガドゥグもテロリストが介入すればたちまちレベル4に上げられる。おかしな話だと思うだろう。ブルキナファソの日本大使館は現地の状況を最もよく知っているはずだが、危険レベルの判断に口を挟めないらしい。国内にいるからこそ分からないことも多いということか…
ブルキナファソはかつてフランスの植民地だった。今でも色濃くフランス植民地時代の名残がある。公用語はフランス語で、フランス軍が常駐している。国益の多くはフランス政府の手に渡り(これは旧フランス植民地国の多くが被っていること)、この国は金などを初めとする天然資源が豊富にあるにも関わらず、国力が高まることはない。


ここは首都の端。土の道は雨が降ると悪状況になる。しかし、道路を作る国力はまだないようだ

最近になって、2度の軍事的クーデターがあり、フランス軍を多く排除(送還)したらしいが、未だに多少は駐在しているという。ブルキナファソは確実に真の独立に向けての道を進んでいるだろう。
国土の4割はテロリストの手に落ちたと言われている。簡単に言うと、神奈川や埼玉で時々テロが起き、1部はテロリストの支配地域となっている状況下で、東京は安全であるとされているということになる。仮にブルキナファソ首都内で外国人への被害やテロリストによる被害が出たら、危険レベルは4に上げられて、私含め日本人は基本的に帰国を余儀なくされる。当然、私のゴミ問題への取り組みは終わりを告げられることになる。
私がここに着いてからも、テロリストによる被害を何度も聞いた。そして、知り合いや家族が亡くなったという話も何度も聞いた。全ては地方での出来事ではあるが、紛争というのはすなわち戦争であり、日本にどれほど情報が届いていたとしても、届いていないにしても、ウクライナロシア間の戦争と同じかそれ以上の悲劇が起きていることを、知っていていただきたい。

アブラヤシの誤ちと人類を含む生態系

前置きはこの辺りにして、本題に入りたい。人類はこの世界で唯一同じ誤ちを繰り返す種であるという名言がある。事実であろう。今日はその話をする。
世界最高峰の生物多様性宝庫の1つ東南アジアで、アブラヤシというパーム油の原料になる木が、かつて注目を浴び、瞬く間に世界中に知れ渡り、やがて世界中の人々に利用されるようになった。先進国の多くの人々がこの物質を使っている製品を避けるのが大変なくらい、多くの製品に使われてきた。この問題に特に触れてこなかった人々は毎日のようにその恩恵を受けているだろう。スーパーに並ぶ商品の半数には使われているという。パンやポテトチップス類のお菓子、シャンプーなどにも含まれる。きっと毎日使っているようなものだろう。
このパーム油を世界に広めた人が、どのような目的であったかは分からないし、追求するつもりは無い。人々の生活を、正確に言うと先進国の人々の生活をより豊かにしようという目的があったかもしれない。しかし、結果として、多くの熱帯林を失う現状を招いてしまった。パーム油の需要は右肩上がりに増加し、東南アジアの多くの地域で熱帯林を切り開いてまでアブラヤシを栽培するようになった。結果として、高い生物多様性は破壊され始め、ゾウやオランウータンの住む場所は激的に失われた。注目されやすい大型の哺乳類の名前ばかりが世には出回るが、実際には多くの小型の生物から大型の生物まで全てが非常に大きな被害を受けていることを、念押ししておく。
学生時代に組体操というのを学校の体育祭でやったり、見たりしたであろう。その中にピラミッドという技があったと思うが、生物多様性を語る際はこのピラミッドこそが最も良い例だと思う。パーム油の取れるアブラヤシは言うまでもなく植物であり、ピラミッドで言うところの最下段である。そして、パーム油の隣には他の植物があり、パーム油がこれに取って変わることはできない。そして、人類はそれを知らずしてパーム油を大量に生産し、他の植物を排除した。ピラミッドの最下段が1人抜けた時、何が起きるかは容易に想像できるだろう。かつて大阪の学校の体育祭で10段ピラミッドが崩れ、多くの生徒が怪我をした事故があった。もはや事件とも言えそうなものだったが。同じことが熱帯林では起き、その被害はピラミッドの上の方にいる動物、哺乳類にまで及んだ。当然のことである。ピラミッドの崩壊は、そのどこかに属す私たち人類にも影響するが、それはパーム油の恩恵を受け続けている先進国の人々ではなく、現地の人々である。先進国民に影響が出るのはもう少し先の話である。だからこそ、私たちは知っている顔をして無視できる立場にある。ピラミッドの崩壊によって彼氏や親友が大きな怪我を負うのなら、きっともっと多くの人がもう少し意識できるかもしれないが、私たちは、あらゆる動物や他国の人々にそれほどの愛を持てないのだろう。だから、今日も無視できてしまう。しかし、学ぶことはできるはずだ。

同じ誤ちを繰り返すのだろうか

ここ、ブルキナファソにもここ数十年で徐々に注目を浴びてきた木がある。シアバターである。聞いたことはあるだろう。最近は化粧品としての流通を狙う企業や団体が名乗りを上げている。日本も含め、多くの外国企業や政府が育成プログラムという名の元に資金を投入しているが、現地の人々が何を得ているというのだろうか。仕事ができ、技術を教えているというのだろうか。いや、それは違う。表向きな理由に過ぎない。本当にブルキナファソのことを考えるならば、まずはフランスの経済的支配から解放するべきである。そして、言うまでもないだろうが、彼らは彼ら自身の手でシアバターを育てることができるし、彼らが望めばそれを産業として売り出すこともできるだろう。
もう1つは、奇跡の木と呼ばれるモリンガである。基礎栄養素が非常に高く、ビタミンやカルシウム、鉄分を多く含むため生命の木とも称されている。多くの食材に利用され、既に先進国でも流通している。

モリンガの幼木


重要なのは、例に出した2つの種の木は限られた地域でしか自生しないということである。何が言いたいか分かるだろう。アブラヤシと同じ轍を踏むことになると思わないだろうか。アブラヤシを育てる人々は、確かに仕事を手にしたように見えるかもしれないが、結局は先進国の多国籍企業が彼らをコマのように使っていたに過ぎないことを、思い知っただろう。マレーシアやインドネシアがパーム油を多く輸出しても、まだまだ発展できていないのは誰のせいだろうか。育成プログラムなど聞こえの良いように言っているだけだと思わないか。結局、誰が得しているのか。誰が稼ぎ、発展し、懐にお金を入れているのか。もう分かるだろう。カカオを育てる子供たちが、チョコレートを食べたことがないのは、そういう国では普通のことだ。パーム油製品がスーパーに並ぶ度に、東南アジアは生物多様性と共に様々な部分が壊れていく。
モリンガやシアバターを育てる、いや育てさせられるアフリカの、ブルキナファソの女性たちや子供たちが、栄養満点の木を育てるだけで食べられずに、命を落としていくのを私たちは見なければいけないのか。そしてまた、育成という名の元に、先進国の企業がそこに介入し、人々を馬車馬のように使い、企業だけが膨らんでいく、そんな同じ誤ちの繰り返しを私たちは支援し、または黙認するのか。パーム油の誤ちを私たちは今まさに見ている。動物も人間も、誤った私たちの選択により彼らが苦しむ世界を私たちは東南アジアに作ってしまった。ここにもその手が伸びていいはずがない。


病は発した土地に治る術を持つ

批判の多い回になっていることを自分でも悲しく思うが、気づいている人間が言わなければいけないのが使命だろう。30年経って、言わなかったことを後悔するよりも、今これを読んでくれるに伝えていくことを私は選択する。最後に少しだけ未来を見ることを話して終わりとしよう。
生物学、いや医学の世界の片隅で言われていることがある。病は発した土地に治る術を持つ。怪我ではなく病気に関して、それが発症し流行っている土地の中には、必ずそれを解決する物質や方法があるというのだ。言わば漢方のようなもので、多くは科学的な証明を果たされていないが、経験則的に病を治すことが知られているものは沢山ある。私がこの地でマラリアと腸チフスを同時に発症した時、初めは西洋医学の世話になったが、改善は非常に遅かった。


マラリア感染時に多量の西洋薬を飲んだが、これはまだ信頼できる解決薬ではない。西洋化学を持ってしても。


マラリアは未だに西洋医学の治療法が確立されておらず、世界の課題とされている。しかし、アフリカには経験則的にマラリアによる致死を防ぐ方法が知られているという。マンゴーの葉を食べたり、木の皮を食べたり、それはまさしく漢方のようなやり方で、彼らは乗り越えて来ているという。嘘だと思うかもしれないし、確かにデータなどないだろう。しかし生物学、特に生態学に触れたことがある人なら、「病は発した土地に治る術を持つ」という言葉を信じると思う。自然は必ず解決策を作り出すからだ。
それと同じように、美容を初めとする多くのものごとも、解決策は必ず内側にある。アフリカの木が日本人に効くということを否定はできないが、日本の木こそ日本人に効くに決まっている。個人差などという言葉遊びではなく、人種というのはもっと大きな規模で進化してきた。進化とはすなわち様々な性質を変えてきたことを意味する。食事も生活の隅々も全てがそうだ。海外から取り入れた何かは、いつも新鮮で悩みを解決する手段に感じるかもしれないが、それは大きな誤りである。人は生物であり、生物は自然の一部である。自動車にガソリンが利用できるのとは訳が違う。生物は、長く生きてきた場所に必ず適応していて、外のものを嫌う。良いように見えても、根元では必ず抗っている。人間の髪1本とってもそうである。日本人は日本に答えを持っている。アフリカ人は黒くて艶のある肌が確かに美しい。それはシアバターやモリンガ、そして彼らが毎日のように食べたり浴びたりする何かの影響によるものかもしれない。しかし、シアバターやモリンガや、他の何かを多用しても日本人はこうはなれない。日本人の黒く長く美しい髪をアフリカ人が持てないのと同じように。
国産に拘れと言うと、愛国者だと思われるだろうからそれは避けたいが、生物学は国産を主張しているのだと私は思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?