『街場の日韓論』サッカーにおける日韓関係について寄稿してみた

内田樹先生の新刊である『街場の日韓論』を読ませていただきました。
今回も多くの寄稿者が様々な視点から日韓関係について考察しており、大変勉強になりました。

ぼく個人が日韓関係で語れることが可能なのは唯一サッカーに関するものなので自分なりの日韓サッカーについて書いてみたく思います。

まず、ごく個人的なところからお話しすると、ぼくは川崎フロンターレのサポーターであります。2017年、2018年のJリーグにおいて2連覇を達成することができました。

個人的に思う最大の功労者は韓国人GKのチョン・ソンリョン選手です。  

彼は2010年南アフリカ、2014年ブラジルW杯、そしてロンドン五輪のオーバーエイジとして出場した韓国を代表するGKです。  

チョン・ソンリョンの神がかったビッグセーブで何度もフロンターレを救ってくれ、サポーターからは「ソンリョン神」とも言われています。

191cm、91kg という恵まれたフィジカルと彼の気迫に押されて、1対1の場面においても何人ものFWがソンリョンの牙城を崩せずに天を仰いだことでしょう。

私は彼のプレーやたたずまいを見ていると、いつも「たのもしさ」を感じます。
そして男からみたカッコ良さというものが凝縮されているといつも思うのです。やはり、兵役を経験しているからでしょうか?
男が男に惚れるということを教えてくれた存在でした。  

ですから、ぼく個人としてはチョン・ソンリョンを通じて韓国という国を理解しようとし、チョンソンリョンもフロンターレサポーターの暖かい声援を通じて日本という国を理解してくれていることでしょう。  

そういう意味では、政府間における日韓関係の最悪な状況と反比例して、日本のJリーグにおいては日韓関係は良好な状況を築いています。  

特にGKが顕著な状況であり、Jリーグ全18クラブで構成されるJ1リーグに韓国人GKがいるクラブは半分の9つもあります。

キム・スンギュ(ヴィッセル神戸)
ク・ソンユン(北海道コンサドーレ札幌)
チョン・ソンリョン(川崎フロンターレ)
クォン・スンテ(鹿島アントラーズ)
キム・ジンヒョン(セレッソ大阪)
朴一圭(横浜マリノス)←在日韓国籍
キム・ミノ(サガン鳥栖)
ムン・キョンゴン(大分トリニータ)
ゴ・ドンミン(松本山雅FC)

以上計9人がJリーグでプレーしている現状です。  

これには、Kリーグが1999年から外国人GKの所属、出場を禁止したルールが大きいようです。
韓国は自国GKの育成に成功した一方で、同様のルールがある中国には移籍できず、ヨーロッパへの移籍はかなりハードルが高いので優秀なGKが日本に流れ込んできたという経緯があります。

GKだけでなく、フィールドプレーヤーにおいても(パク・チソン、ファン・ウィジョ、チェ・ヨンス、キム・ボギョン、ユ・サンチョル)など名だたるスパースター達が過去にJリーグに在籍していた歴史もあり、日本のサッカーファンは韓国に対してより身近な存在として認識しているのです。  


その結果として、2019年12月18日、韓国・釜山でサッカーの東アジアE-1選手権最終節の日韓戦が行われ、日本のサポーターが掲げたある横断幕に韓国のメディアやネットユーザーから称賛の声が上がりました。

この日、日本サポーターの応援席にはハングルで「できるよ、ユ・サンチョル兄貴!!」と書かれた横断幕が掲げました。ユ・サンチョル氏はかつて横浜F・マリノス、柏レイソルでプレーし活躍した選手であり、10月に膵がんで闘病中であることを公表していていたのです。

優勝をかけた日韓戦で日本のサポーターが相手国の元韓国代表選手を励ます行為は本当に我々のサッカー文化が成熟した素晴らしい結果です。

一方残念なことに、韓国のサポーターは『NO ジャパン、(日本に)行きません、(日本製品を)買いません』と書かれたプラカードを掲げていました。

韓国のネット世論では、
「相手国の選手を気遣う日本と挑発する韓国。国民意識の差だ」
「試合には勝ったがファン文化は負けた」
との声も上がっていたことが救いでした。

しかし、Kリーグで日本人がほとんどプレーしていない中、日韓サッカーへの想いが一方通行になってしまうのもしょうがない事だと思います。


ここであくまでぼく自身の目からみた日韓サッカーの歴史の変遷をたどってみたいと思います。  

私の幼少期、代表戦でおぼえているのはメキシコW杯・最終予選で、日本のホームに韓国を迎えた一戦。
木村和司が、直接フリーキックを決めました。
伝説のフリーキックです。
ホーム・アウェイと負けてしまいましたが、国立競技場が沸いたあの瞬間だけは覚えています。

次に覚えているのは、1994年のW杯アジア予選の日韓戦!
キングカズこと三浦知良の魂のゴールで1−0と韓国にW杯予選で初めて勝った試合です。
高校生の時でしたが、あの韓国にまさか勝てたとは信じられない思いを覚えています。しかし、ドーハの悲劇によりワールドカップ出場は逃しました。  

1990年代はサッカーにおいては圧倒的に韓国が強く、日本は逆に韓国のことをリスペクトしすぎる風潮がありました。
そして、確実に韓国はたとえ日本に負けたとしても「上から目線」であり余裕があったように思います。

そんな象徴的なシーンとして、1997年のフランスW杯予選では早々と予選突破を決めた韓国サポーターから「一緒にW杯行こう」と横断幕をあげてくれました。

やはり、実力も圧倒的な差があり上から目線でいる時は相手に牙を剥いたりすることがないのです。
日本においても同じことが言えます。
1980年代では日本と韓国の経済格差は相当な隔たりがあり(GDP比で15倍)明らかに日本は韓国に対して無意識のうちに上から目線であったと思います。
しかし、2018年のOECDの1人あたりのGDPでは日本は41,502ドル、韓国は42,136ドルで既に逆転されています。
そうなると、もはや上から目線の余裕はなくなり、嫌韓本やヘイトスピーチにつながるような攻撃的な差別対象となってしまいます。  

同じことが、サッカーにおいて2000年代におきます。
サッカーの実力もフランスW杯の出場を機に、韓国との実力差が徐々に縮まってくるにしたがって日韓サッカーの関係性もナショナリズム化してきます。

そうは言っても2002年日韓W杯共催でうまくいったんじゃないかと思われる方もいらっしゃいますが、あの大会も一筋縄ではいかなかったのです。
お互いが一国での開催を主張し、折衷案で無理やりFIFAの会長がまとめたものでした。

前例の無かった共同開催では、いろいろな面で日韓両国がぶつかりました。
まずは、大会の呼称ですが、当初提案されたアルファベット順に国名を並べる
「2002 FIFA World Cup Japan/Korea」という呼称に韓国が猛反発、
最終的に「2002 FIFA World Cup Korea/Japan」に決まりました。

その代わり、最も重要な試合である決勝は日本の今の日産スタジアム(当時の横浜国際総合競技場)で行うことが決められました(ただし開会式はソウル)。   

まだぼくも20代で若く感情的になってしまった点が多々あったW杯でした。
象徴的だったのが2002年決勝グループを突破した日本が決勝ラウンド1回戦でトルコに敗れた時の韓国サポーターの反応です。
韓国が勝った時以上に日本が負けたことを韓国サポーターが喜んでいるのです。。。  

また、当時は中田英寿が活躍していた時代だったため、頻繁にセリエAの試合をみていた僕は完全なイタリア代表ファンでした。
(トッティ、デルピエロ、マルザーリ、ヴィエリと素晴らしいチームでした。)
そのイタリアがまったく不可解なジャッジで韓国に負けた時の憤りは今でも忘れません。

少々、主題からずれてしまいましたが、、、

日本代表チームがW杯の常連国となり、香川、本田といった海外選手がビッグクラブで活躍するにつれて、ますます韓国の横暴は止まりませんでした。  

2011年のアジアカップ準決勝のキ・ソンヨンがPKからゴールを決めるとテレビカメラに向かって日本人を侮辱する「猿」のものまねをしました。  

2012年ロンドン五輪の3位決定戦では試合後に上半身裸になったパク・チョンウが国旗の太極旗と一緒に「独島(竹島の韓国名)はわれわれの領土」とハングルで書かれたメッセージを掲げました。

極め付きは2013年の東アジアカップで、最終日の日本戦で試合前に「歴史を忘れた民族に未来はない」という横断幕をバックスタンドのゴール裏付近に掲げる。さらにゴール裏では安重根(初代韓国統監の伊藤博文を暗殺)と、李舜臣(豊臣秀吉軍を撃退した朝鮮水軍の将軍)のふたりを描いた巨大な肖像画が韓国のゴール裏を覆い尽くしました。

キ・ソンヨンが前述の猿まねパフォーマンスをした2011年のアジアカップ準決勝ではPK戦で韓国を破り、その後オーストラリアも撃破して日本が優勝しました。
同年8月も日本は札幌での日韓戦、香川真司の2ゴールと本田圭佑の1ゴールで3-0と完勝したのです。
そして、この連勝により韓国は「上から目線」の余裕がなくなり、日本を「対等のライバル」と認めざるをえなくなったのでしょうか。
その悔しさの表れが「サッカー以外の行為=政治的なメッセージ」になったのでしょう。


このように反日感情が高まってしまっている韓国サッカーですが、あえて日本のサポーターは前述したような去年日韓戦におけるユサンチョルを励ますような姿勢で韓国と接していければいいのです。  

私が選ぶアジア歴代最高の選手はパクチソンです。
中田英寿でもなく、本田圭佑でもなく実績や実力でもダントツでパクチソンです。

彼はマンチェスターユナイテッドで長年にわたり起用され続けファーガソン監督からも圧倒的な信頼を得てきた偉大な選手であり、オシム監督がよく比喩していた水を運べる選手でありながら試合も決められるオールラウンドな理想の選手だと思います。

もし韓国の方とお話しができる機会があれば是非ともパクチソンの素晴らしさを語り合いたいです。

内田樹先生のおしゃっているように、個人ができることはごく僅かです。
しかし、多くのJリーグのサポーター仲間の一人一人が韓国に対する思いやりのつまったレンガを積んでいけば、何十年とたったときには大きなサッカースタジアムができることを祈りつつ、この文章の終わりとさせていただきます。 












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