できる姿はプレッシャーを与えるのか

私は、私以外の人が前進したり向上したりするのを知ると、ドキッとする。
それは、ショックに近いかもしれない。落ち込みが同時にやって来る。
自分が落ちる。誰かが上がるから。自分が同じところで停滞してるから。
いちいちそういう衝撃を受ける。
まぁ最近は、その落ち込みの中に留まらず、そんな自分を許すように放流しておくと間もなく通常に戻れるけど。
ただ、やっぱりこの落ち込み癖・人と比べて自分を落とす癖は卒業したいな…というのは正直、常にある。

昨夜、21才の娘が、自分の心理状態を持て余し不安定にしていた。それは、私がずっと自分自身について困って来たことと同じだった。
(こちらの記事に書いてある↓)

自分が「やりたい」と思ったことが「やらなきゃ」に自然変換されてしまい、そうなると動けなくなってしまう…ということだ。
娘は、就活が動けない。

私は、上記事のセラピーによって、ほんの少しそこから抜けることができた。だから、そのお裾分けができればと、少し言葉をかけてみた。けどなかなか、受け付けてもらえなかった。そうだろうとは思ったけどね。

私も同じだったと告げても、
「でもお母さんは今、いつも何かやってるじゃん。いつも何か一生懸命やってるじゃん」
ジェスチャー付きで、私がパソコンやスマホに向かって何かをやってることを必死に訴えて来た。
そう、私は誰かに報告できるほどの進展は何もしていないが、noteの記事をピックアップしてアメブロにも投稿したり、イベント募集サイトPeatixでイベントを作ったり、本当に私パソコンとかの知識無いし、要領悪いし、抜けてて失敗ばっかするし、どっちもめちゃくちゃ時間かかって、娘の目に入る時にいつも何かやってたりした。
それは、私としては、そうして頑張ってる姿を見せるのは良いことだと思ってたんだけど、だってそれで、私の起業が軌道に乗ったとしたら、特別に資格とかスキルが無い私でも自分ならではのことで仕事ができるという現実を見せてあげることができて、如何にも一般的な「就職」が向いてなさそうな娘への、励みや勇気や安心に繋がると思ってる部分もあるから、
…良いと思ってたんだけど、
頑張れない、動きたくても動けない娘から見ると、動けている私の存在は、寧ろプレッシャーを与えていたのか…と、私が前進してる人を見ると落ち込むように、娘も自分と対比して余計に動けない自分がくっきりと見えてしまっていたのかと思うと、
私が頑張ることは、又その姿を見せることは、あまり良くないのかもしれないと思った。

でも、だからって、私が娘に隠れて頑張ったり、頑張りたいのに娘に遠慮して頑張らないというのは違うと思うけど、
私が無理に自分のケツを叩いて頑張る山を越えようとすることも、不要なんだな…と思った。
私はやっぱり、あくまでも、『今・自分』を素直に感じ、本心で動く、それが、自分にも周りにも一番調度いいのかなと思った。

私ができることは、
そうして自分を生きることと、
せめて、娘の話を聴くことだ。
話を聴けば、私が何か特に手助けしなくても
きっと娘は、自分でどうにかこうにか乗り越えて行くだろう。

**〜**〜**〜*
ここまで読んで頂いて嬉しかったです。
ありがとうございます。
私は人の話を聴くのが好きだけれど、
実際、聴くことを仕事にしてから、
意外と子供の話を冷静に最後まで聴けてなかったかもしれないと自覚しました。
自覚してから、聴くようになりました。
それを実践できていることが、嬉しいです。
こうして子供はいつも私を磨いてくれます。
そんな私です…
あなたのお話を聴きます。
私は、どんな本音もどんな気持ちも、その存在を受け止めたい。
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また長くなっちゃった。
更に、ありがとうございました🌷





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