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初めて、自分の「使命」というものが過ぎった。

昨夜、高くて迷って迷って迷って買ったチケットで、舞台を観に行った。

観る前に、腹ごしらえでレトロなカフェに入り、ピザトーストと珈琲を頂いた。
ピザトーストを噛む。
今私は、アトピー治療の整体院での指導で、
食べる時に50回噛むことが頭にあり、
あまり時間に余裕も無いので50回とは行かなかったけど、なるべくよく噛んでいた。
噛むことに時間をかけると、
頭の中に空白が出来て来るんです、余白? 全体が一度ボヤ〜ンと消えて、別のものがほわんと浮かんで来ます。
その時にね、これから観る「舞台」という物がイメージに見えたんです。私はかって舞台で演劇をしていましたから、その感覚も重なります。舞台という狭い空間、特定の場所で何かを表現する。自分を表現する。舞台で表現するには、相手(お客さん)に舞台まで来てもらわないといけない。
それがね、なんか私がやることではないんじゃないか?と思えました。
私は、また舞台でお芝居をしたいと思ってます。密かに熱望してる気もします。
でも、最もやりたいことは、
相手に来てもらうのではなく、私がどこへでも行って、どんどんあらゆる所へ行って、開かれた場所でたくさんの人と話す、たくさんの人の話を聴くことなんじゃないか?それが私の使命なんじゃないか?
という感覚が走ったんです。

その感覚を持ったまま、舞台を観ると(昨日のは芝居とは違うが…)、あ、舞台で表現することもやっぱりいいな、したいな…ああいう細かい表現、抽象的な表し方、たまらんな… と感じたので、まぁ、両方やればいいか、と思ったんだけど笑
ちょっと反れますが、
最近気付いた私の癖が、「どっちかを選ばなきゃいけない」と思い込んでるところなんです。だから、この場合も癖を自覚し、どっちもやればいいんだと思えたのは、なんだか心が微笑みました。

だけどやっぱり、
私がなんのために生まれて来たのか
私が生まれて来て最もしたいことは何なのか
自分のことでもあり、この世界全体のために。
「使命」とは、そういうことかなと思うのですが、
その視点で見るとやはり、
舞台表現は他の人でもいい、
開かれた世界で次々とみんなの話を聴くのは、私だ。
と、何となくストンと来る。

こういう感覚は初めてだな。
これを大切にしてみたら、自分は喜ぶかもしれない。

**〜**〜**〜*
私主催の、第一回対話の会へのお誘いです。
(先に企画したこれも、使命に沿っているかもしれんね)

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