理論と感性と身体性

仕事はもちろん面白いが、それなりにストレスはかかるし息抜きが必要ということで、音楽とスポーツを生活に取り入れるようにしている。

会社で所属している軽音班は他事業所のイベントのステージ演奏に出演依頼を受けることになり、参加メンバーのバランスをとって、久々にギターを担当することになった。

これとは別に、会社のソフトボール大会に呼ばれて久しぶりに打席に立ったり、フィールドを動き回った。

この2つの音楽とスポーツイベントが、今回のタイトルについて考えるきっかけになった。1つは、理論と感性の補完関係について。

どちらかというと、感性が先に飛び込んでくる。
理論はそれを言語化してくれることを手伝ってくれる。
そして言語化できたものごとは、記憶に定着しやすい。

例えばギター。スコアを見たときに頭に音が流れる。指の動きがイメージできる。これは音楽理論やギターの構造を知っているから。パッと弾けてしまう理由が言葉で説明できる。

例えばソフトボール。レフト、センター、ライトに打ち分ける。甘いボールはホームランにする。これはバットのヘッドの走らせ方を知っているから。身体の使い方を知っているから。言葉で説明できる。

この後、身体性について考えが及ぶ。
理論に裏付けられた感性のままに身体が動くのは、過去に繰り返し反復練習した経験があるから。身体が動きを覚えている。
新しい動きは、当然できないが、そのようなものに出会ったときに黙々と反復練習をしている自分がいる。

ピアノもギターも気づけば数時間弾き続けているし、これができるのは、それが成功への道だと知っているから。何より新しいことができるようになる喜びがある。

理論と感性と身体性 これはどんな対象でも、どんな年代でも共通して重要な観点なのではなかろうか。

人生が豊かになる気付きは皆さんにお裾分け。まずは身近な家族から。

とはいえ、長女はもう、絵画に歌に剣道に、その観点を適用できている。






続き?の話

理論の力で言語化できると記憶に定着する。脳のシナプスが太くなる。きっかけがあると、すぐさまに呼び起こせるようになる。結果として、認知力が高まる。同じことを経験しているのに、気付きの差に繋がるのは、この認知力に由来していると考えている。

ちなみに認知は差分。

もっと正確にはシグモイド曲線。S時カーブ
何かしらの刺激を受けたときの反応は、その刺激量が極端に少ない領域では感度が低いが、ある領域からはリニアになってくる。差分が認識しやすい領域。一方で、刺激量が多くなると感度も鈍ってくる。

リニアな領域はある程度誰しも認知することができる。
立ち上がりと最終部分の差を感じ取れるのは、其れ相応の訓練をしてきた玄人に限る。

全ての領域で、玄人になる必要はないが、1つでも極めた領域があり玄人の感覚を持てるようになると、不思議と別の領域の玄人の人の気持ちに寄り添うことができる。

多様性の高い組織、社会で活躍するには、その寄り添う力が大切になることがある。いまの自分はどこにいるのか?そんなメタ思考で振り返ってみるとそれぞれがそれぞれに気づきを得るかもしれない。

シグモイド曲線

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