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鍼でよくなる 中学時代の腰痛日記②

昨日の続きです。

腰痛に悩まされた3カ月、夏から秋にかけて、私は気持ちも落ち込んでいた。
冬の初め、母が親戚から、ある接骨院がいいと聞いてきた。そこは、スポーツ選手も通っているという。
電車で30分くらいかかるが、行ってみることにした。

先生は、40代くらいの男の先生で、兄弟でされていた。
そのお父さんが、受付をしていて、
夕方だったのもあるが、患者は学生のような若者ばかりだった。

問診のあと、施術して、驚いた事に、痛みの半分以上減っている。
考えられない事だった。

その日、次の日は、本当に楽だった。ミラクル!

しかし、3日経つとまた、痛みが戻ってきた。
それでも、今まで、そんなに良くなることがなかったので、
もうここに通えば、治ると思った。

週に2回、学校が終わって、電車で、1人で行った。
接骨院の雰囲気もよく、笑いがあふれていた。

週2回が、週に1回になり、トータルでは半年くらい通って、
卒業となった。

ほぼ、痛みはなくなり、治ったと言っていい。

接骨院でされた事は、鍼治療、電気治療、足の長さを整えるとかで、うつぶせに寝て、骨盤とベッドの間にスポンジのようなものを置いて、少し置いておく。
あと、先生が軽く手技で体を整えるなど。

鍼治療は、初回、鍼通電といって、鍼を刺して、その鍼に電気を通すやり方をしたが、腰にはよかったが、その日、帰り路で気分が悪くなり、吐いてしまった。それを告げると、刺激が強すぎたんだろうという事で、次からは、鍼を刺して置いておくだけ、通電はしなくなった。

むっちゃ効いたという日もあれば、それほどという日もあった。
朝起きて、調子がいい日もあれば、今日は腰が重いなという日もあった。
しかし、確実に良くなっていった。

中学の時に、腰痛に悩まされた経験を持つ子は少ないだろう。
それ以降、腰痛になる事もなく、過ごしてこれたのは、この経験が生かされているのだろう。

夏樹静子の『腰痛放浪記』では、彼女の腰痛は心身症だったが、
私の場合は、どうか?

きっかけは、バレーボールのジャンプかもしれない。
しかし、そのあと、腰痛にとらわれ、痛みを拒否し、このまま治らないのではと不安になり、母にも八つ当たりしたり、腰痛を理由にわがままを通した。

『腰痛放浪記』で平木医師が痛みを受け入れると言っていたが、
それが当時はできなかった。知らなかった。
腰を切ってほしいとまで思っていた。これでは、腰も私と仲良くやっていく気にはなれないだろう。痛みは何かを伝えてくれる。意味のない痛みはないのだろう。

中学のぎっくり腰が私の人生の原点である。

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