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モンゴルに来た。現実は続く。



夢のよう、だけれども
これはまぎれもなく現実だという感覚もあって。

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とある写真をきっかけに
今回行くことになったモンゴル。

その写真の場所は、トナカイと暮らす民族・ツァータン族がいる場所で、車も電車でもだめ、馬でしか行けないのだという。

そんなん行けるなら行ってみたいでしかないやん!!!と、好奇心のままに調べてみたらYouTubeでその民族に会いに行っている日本人がやってるツアーを見つけた。

概要欄に載っていたURLからとびたどり着いたHPは、なんだか怪しい、、、。応募フォームも2022年版。だったけれど、どうしても行きたい気持ちが勝ち「2023年で行きたいです!」と更新されていないHPでコンタクトをとった。しかし、数週間経っても返信がない。それならばと主催者のSNSを探し出し、そこでもDMを送った。

すると、そのまた数週間後、遂に返信が来た!今年も開催があるそうだ、、、!また、このツアーには上級・中級・初級編と3段階あり、ツァータン族の元に行くのは上級編だと言う。それに行くためには、初級編への参加は必須だと書かれてあり、即座に「じゃあ、初級いきます!」と送った。

そうして、行くことになった
『モンゴル武者修行ツアー 初級編』。

顔合わせ会には参加できず、当日どんな人が来るかソワソワしながら集合場所に向かったのだが、集まっていた15人ほどのメンバーは意外にも若い人が多く、わたしの28歳がちょうど真ん中辺り。この人たちと過ごす時間はどんな時間になるだろう。少しの緊張と多めのワクワクをバックパックとともに背負い直し、飛行機に乗り込んだ。

モンゴルに滞在したのは約1週間。ほぼ全員が初対面のこのメンバーで時間を過ごしたわけなのだけれど、、、びっくり!だれといても居心地がよい!!飛行機に乗る前の少しの緊張なんて、必要なかった!そう思うほどみんながほどよい距離感で、ごはんのときも広いテーブルを囲って食べているのに、全員での談笑ができている!!!普通もうちょっと固まらん?グループになったりしない?と思ったけど、みんなで話して、みんなで笑って、みんなで10代の恋愛相談乗って。🤭💕とてもあたたかくて素敵な方々と出会って、1週間と思えないほどの濃い時間を過ごせた。

そんな方々も、聞けばそれぞれに此処・モンゴルに来たきっかけや理由があって、悩みもあった。将来のことや今の人間関係、仕事からの癒しを求めに来ている人も。

各々の場所で運命的に見つけた(みんなの話を聞けばそう思ってしまう)このツアー。夢のようなこの景色を見ながらも、紛れもなくそれぞれが現実を生きているんだな、そう思った。

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ツアーの最終日には
モンゴルの都市に住むアーティストの方の
お宅を訪問する機会をいただいた。

その方は、モンゴルや世界の社会情勢を、動物やキャラクター、実際の人物を用いて描かれていた。大きなキャンバスに描かれているそれは、一つひとつにストーリーがあるようでとても興味深く、質問が飛び交った。

その中で印象に残っている会話がある。

''遊牧民であるわたしたちにとっては
移動のある生活は
馬が草を食べているようなことです''

これは、アーティストの彼の絵で遊牧民の移動する生活を波として表現している絵があったのだが、それに対して元々遊牧生活をしていた通訳のホンゴルちゃんがどう思うかと問われた時に答えた言葉だった。

素晴らしい景色に囲まれた
わたしたちにとっては夢のようなモンゴルの生活も、彼らにとっては馬が毎日草を食べるようなもの、つまり日常なわけで、
ただ目の前の「生活」をしているというのだ。

スタイルは違えど
日常がある、生活をしている。
それは、彼らもわたしたちも変わりない。

よく考えれば当たり前のこと。

けれど、やはりどこかでわたしは
''ここにいるから豊かさを感じられる''
という意識があったのだと思う。

ホンゴルちゃんの言葉から、
環境が人の幸福度を左右するものなのだと
そんな固定概念がまだ頭の大部分を占めているという自分に気付かされた。

もちろん、自分に合う環境を選ぶことは大事だし、環境に左右されることがあるのも事実だ。

ただ環境だけに幸せの理由があるのではなく、
自分自身の在り方、捉え方、接し方、過ごし方で
きっとそれは変えられる!

そんなことを信じたいと思っていたわたしにとって、まだまだ自分が環境に身を委ねているということに改めて気付かされた出来事だった。


冒頭のように
常にどこか現実味があったのは、
此処がモンゴルの人達にとっての現実であり
ツアーできたわたしたち日本人にとっても
紛れもない現実であって

現実がしんどいから、それがない此処は
夢・楽園だ、なんてことはない、

どこに居ても自分の居る場所が現実で
その現実そのものが夢のようで、
だからこそ、ここだけが夢の世界ではない。

そんなことを
どこかで感じていたからなのかもしれない。

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果てしなく続く道なき道の先、
モンゴルのだだっ広い平原の奥に連なる
山々の向こう側には、光が差していた。

どこまで続くかわからないこの道の果てにもきっと、光はあるんだと思ってしまうほど、明るくて美しかった。

建物がひしめき合う日本では、
すぐに曲がり角が表れる。

右か左か、
曲がるか進むか、

1ページ1ページものすごい速度でページがめくられていくように、選択を迫られ、景色が移り変わるわたしたちの現実。

それでも、
せめて心はモンゴルの草原のように
広く雄大に、遠くを見るように構えていたい。

ただ進み続ければ光の元にたどり着くのだと、
遠くても確実にある光の方を見て、
めくるめく日々の一つひとつを
草を食うように過ごしていきたい。

そんなことを思った。

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帰国の日、
5時間ほどかけて成田空港に降り立ち、また会おうと旅をともにしたメンバーと解散をした。

バスに乗って東京駅へ向かいながら「現実に帰りたくない~」と言いつつも、帰ってきた東京駅の夜を照らすたくさんの光はやっぱり綺麗だなと思ったし、ビルに囲まれて見える面積が少なくなった空も、これはコレで好きだなと思った。


アーティストの方の家で、ホンゴルちゃんは
こうも言っていた。

''でも、この生活は他のどこでもありません
特別な生活だと誇りに思っています''

みんな日常がある、現実を生きている。

ただその日常に、日々に、
遊牧民たちは誇りを持っている。
わたしもまた彼らのように
自分の日々を誇りに思えるように
過ごしていきたい。

モンゴルに来て、そう強く思った。



草原の上に大きく広がる空も
ビルに囲まれて狭まる空も
続いている。

現実は続く。

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