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期待と諦め

は、欲求だと思うの。

子育て、人育て、自分以外の人と接する時に自然と湧いてくる感情。

自分が期待することが
相手への賛辞になると思って
惜しみなく後押しする

前のめりで
自分の大きな期待は
相手の背中をどんどん押している

と、思ってるのは期待をしている人間だけで
その期待がうまく追い風とならずに向かい風となっていることに気づかずに
いつの間にか
背中を押すどころか不快なものとなる。

すると期待していた者の心はいつの間にか
勝手に落胆し時に怒りを露わにして
最後は勝手に諦める。

期待されるのは悪い気はしない
時には背中を押すことにはなる。

けどこの背中の押し方は
相手の意中とは関係のないところで勝手に湧いて勝手に消える。

期待したんだから応えて当然
期待に応えたら必ず良いことがある
あなたには特に期待をしている

毒だ。

これは、かなりたちの悪い猛毒だ。
欲求が形を変えて良い薬のふりをしている。


他人のことではなく
これは自分自身の気付きからの話。

「最初から期待なんかしなきゃ良かった。
こんな思いするなら…」
だけどその期待は最初から自分の願望や欲求で、ワクワクだったりが前提になっている。

元は自分発信。
だから、人にとっては毒にもなる。

行き着く先はHAPPYだけじゃなくて
どうにもならなかったことを納得させる諦めが待っている。

上司と部下
先生と生徒
監督と部員
先輩と後輩
親子
恋人
夫婦
誰かと誰かに少しでも
上下の関係や力関係が働いていたら注意しなきゃいけない。
特に
「こっちがこれだけやってるんだから、やってよ。」
「誰のためにやってると思ってるんだ。」
そうやって、相手の心と行動を縛る権利は誰にもないはず。



期待をしてはいけないってことではない


その期待が、相手に対するどんな気持ちを持ってて、何が言いたいのかしっかりと伝えると良いのだと思う。

『がんばれ。期待してるから。』


受け取る側に妙な比重がかかってる。
(微妙なニュアンスの付く言葉を省いています。)



『応援してる』

『頑張って』

そうだ!
ファンの人が憧れのあの人へ向ける想いが1番理想なのかも✨

無条件の愛情
純粋な気持ち

心からのエールみたいなもの。
てことは、言葉としてどう使うかがやっぱり問題なんだわ。

「〇〇だから〇〇」

これが、大きな欲求を滲ませることになってる。
「応援してるから頑張って」
「頑張ったからやれるはず
「期待してるから活躍して」
「絶対うまくなるから練習して」
「やらないから上手くならない」
応援したから見返りがあって当然、的な。

相手⇔自分
どうしても相手に求めてしまったり、
逆は、それ以上の意味を考えてしまったり、
本当に思ってることが分からないからこそ、相手の行動だけで推し量ってしまう。

反応がないとそれはダメで
期待した反応でなかったらそれはそれでダメで
あぁ(´ . .̫ . `)
相手への欲求は留まることを知らないですね。


期待と諦め

は、相手へではなく自分にかけるといいような気がします。

自分が自分に期待をかけると
どうなるだろう(≧∀≦)
人はどう出るかわからないけど
自分なら、分かる。

期待は人にするより
自分にする。
そしたら、諦めも悪くなって
口を出すとか、怒るとか、手を出すとか、イライラするとか減るかもね。
自分に諦め悪いと、また期待するためにどうするかずっと考えたくなるから。


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