警備員のおじちゃん
いつからだったか?
そう考えると思い出せない。
一番初めの記憶では姪っ子と歩いている時に警備員のおじちゃんが姪っ子に手を優しく振ってくれて、それに応えるように姪っ子は恥ずかしそうに小さく振っていた。
我が家の自宅前のビルの舗装工事が確か桜が舞う頃から始まった。
そこに、いつも同じ警備員のおじちゃんが立っていて、私達家族が自宅を出入りする度に、いつの時も姪っ子に笑顔で手を振ってくれていた。それが段々と大人である私や母や妹にもお辞儀をしてくれたり、笑顔で挨拶してくれたり…。
暖かい日も、風の強い日も、雨の日も、暑い日も、寒い日も、仕事に行くのが嫌な日も、友達と出掛けるワクワクした日も、母とスーパーへ行く時も、姪っ子と手を繋いで歩いている時も、どんな日もいつもいつも自宅から出ると警備員のおじちゃんはお仕事しながらも私達の気配をすぐに感じてくれて、その瞬間すぐに顔を合わせ笑顔でいてくれていた。
月日と共に姪っ子の大きくなっていく姿も気づいていたんじゃないかなぁ?と思う。
12月に入った頃、銀行に行こうとした際、私はおじちゃんと初めて会話らしい会話をした。
おじちゃんが「めっちゃ、寒くなってきましたね」
私「ホント寒すぎますね、体には気をつけてくださいね〜」
「ありがとうございます」とおじちゃん。
その後私は手を振って銀行へいそいだ。
しかし
一昨日、家から出た瞬間驚いた。
自宅の前の工事が終了していた。
当然もう当たり前かのようにいた警備員のおじちゃんはもういない。
おじちゃんが残したものは警備員のお仕事だけでなく、
全く名も知らぬ私達家族に温かな気持ちをどんな日も沢山いただき私達を笑顔にしてくださった。
優しい気持ちを残してくださった。
2歳児の姪っ子は今日もまだおじちゃんがいつも立っていた場所を眺めている。
ふと、私もおじちゃんの様な人になりたいと思った。
本当に素直にそう思った。
仕事はやるべきことだけが仕事でない。
仕事を通してなくても、きっと自分にしか出来ないことがある。
いつの間にか役割分担かのように、誰かに指摘されたものでなく自然とやってしまっていることを大事にしたいと思った。
誰かに何かをしたいとかじゃない。
自然と流れた先が誰かの心に一瞬でも一秒だけでも和らぐ存在になれたら…ありがたい。
名も知らぬ警備員のおじちゃんとの突然のお別れは寂しかったけれど、これも出会いあれば別れもあり。
やはりご縁がある人とは、気づかない時に既にもう出会っていて、学ぶことが終われば不思議と離れていくものなんだろうなと冬の寒さと共に改めて学ぶ。
次の場所でもきっとおじちゃんは優しい笑顔で街の人の心を暖かくしてるんだろうなぁと思う。
おじちゃん、ありがとう。
お疲れ様です。
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画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。
cactuses_manga様ありがとうございます🙇🙏
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