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改めまして、初めまして。

文を書きたいという強烈な思いから気がついたら初投稿を終わらせていたナナです。
私の人生思ったよりも壮絶で驚くことが毎日のように訪れるので
なんだかこの人生を知ってもらいたくてnoteを始めました。

今までのこと

小学生、中学高校とエスカレーターで私立の学校に楽に進学。早く社会に出たくて色々考えた中で美容師になることを決意しました。

高校生活は別の記事で書いているのでお時間あればぜひ読んでください

高校生の時にシェーグレン症候群という病気が見つかりました。時に菊池病やリンパ節炎になって入院したことも。2年に1回、今は1年に1回、一週間以上39度の熱を出します。気象病もひどく、薬を飲まないと毎日が過ごせないほど
シェーグレン症候群は喉や目の渇き、関節痛などの痛みが出る病気で対処療法しかないことから未だに症状が出ても目薬を指す、唾液が出やすくなる薬を飲むしか方法がなく時にそんな自分が嫌で今でも泣くことがあります。笑
完治の難しい病気で毎月の通院とそれなりの薬代、時に検査をしたり、そんなことをこんな年齢からしたくないと本気で思っています。
それでも生きていくならそんな病気とも付き合わなきゃね、

美容学校は緊張感が高かったせいでこんな体でも皆勤賞を取りました。
人生で初めて毎日学校に通うことをした。精神的にとても落ち着いていたのも、たくさん理由があると思うけど人生で1番楽しく1番濃厚な二年間だったな。

そんな美容学生生活も終わると就活するわけなのですが。
卒業後の春休みで熱を出すのです。入社式、スタッフの顔合わせ、シャンプー練習なども全て参加できずに4月1日薬で症状を抑制させながら初出勤を終えました。
大切な最後の春休みは布団の中で過ごしました。笑

そんなこんなで入社するも5月末、会社がコロナのクラスターに。そのまま最後の感染者で私がコロナにかかりました。
人よりも免疫力がない私は後遺症に一ヶ月悩まされ会社に行けない日々、7月に大好きだった祖父が他界。
もう何も生きている意味がわからなくなったんですよね。
病気も悪化していき、しまいには会社にいくことが困難になりました。
忙しい会社だったのでここでは美容師になることができないこのままこの会社にいると私がいなくなってしまう、そう思い社長に辞める意思を告げた時、
「これから先、SNSマーケティングとか空中線が必要になってくるんだけどナナ、やってみない?」
もちろん美容師を続けたかったら応援するよと。その時残念ながら美容師を続けるという意志がほんの少ししか残っていませんでした。
せっかく大金を払ってもらって美容専門を卒業したのに美容師になれずに辞めるのはどうかや、カラーを塗ったりシャンプーをしたりすることは好きだったので職業にも未練があったのですが、それ以上に社長の提案がすごく暖かかったのです。

こんな新卒の何もできない奴をここまでしても引き止めてくれたことが本当に嬉しく、二日後にそっちの仕事をさせてくださいと懇願しました。

思ったよりもすごく楽しく自由な職種に着いたので全くもって仕事に不満は今でもありません。

その仕事を初めて2年目。親が離婚しました。
母親から離婚を切り出したのですが、私たち姉妹が大人になるまで待ってくれていたことを思うと胸が張り裂けそうになりました。
私からみてもモラハラ気質、否定から話が始まるザ・昭和の父と私たちが就職するまで20年近く我慢してくれていたと思うと離婚してくれたことに実は感謝をしています。
母も今の人生とても楽しそうだしね。
母と父の離婚話しも昼ドラなのか?と思うほどなのでいつか時が来たら思い出として残そうと思います。

noteを始めたこと

文字を書くことが本当に好きで昔からこっそり物語や自分が思ったことをメモにつらつらと書く癖がありました。
高校生の時は学校が終わると近くの大きな図書館にこもって好きな作家を見つけては何十冊も借りて毎日のように本に夢中になっていたのです。
専門は楽しすぎて正当化させながら本を読むことをしていなかったのですが、大人になった今、私ではない誰かの人生を除くことがこんなにも楽しいのだと、改めて感じたのです。

それでも読みたい本がないときは小説を書いてその主人公に私が夢に見た人生を歩んでもらっています。
SNSだって文字だらけの世界なのに1分前に読んだ記事なんて少しも覚えていないのだもの。価値のある文字を読みたくなった。価値のある文を書きたくなって書き始めました。

初めは韓国ドラマだけをメインで書こうと思っていたのですが、やっぱり自分の人生を誰かに知ってもらいたいと思い、気がつくといろんな書きたいが浮かんでくるのです。

これからのこと

人生なんて1秒先も何が起こるかわからない。これから先の出来事に対して優劣をつけたり、一喜一憂したりすると思うのですが、できる限り感受性豊かに泣きたい時は泣いて怒りたい時は怒りたいんですよね。
どんなに小さいことでもできる限り覚えておきたい。私のnoteはそんな少し長い日記だと、時に思い出話できるアルバムだと思って欲しいです。
皆さんが私のnoteを気に入ってくれて一緒に共感してくれる日が来ることを願って。

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