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私の旅路 part9

旅人は夢の中へと潜った。そして、いつもと違う感覚が沸き上がった。  今までの夢は、幽体離脱のような客観的体験に比べ「今日は」リアルだと実感する。

足元から上がってくるヒヤッと凍るような寒気。

目の前は、暗がり。足元の悪い木々の根。深い海のような緑の森。

チクッと、刺さる針のような視線。周りには誰もいない。どこから見ている。

旅人は、竦みそうになりながら歩いた。歩くたびに視線は集まるようだ。 どんどん痛みが増す。歩くど、歩くど痛みは、滝を登るかのように身体へと刺さっては抜けない。思わず声がでる。静かな森の中にひびき渡る自分の声。

「痛っ。痛い。苦しい。なんだこの刺さる痛みは…」心の声は漏れていく。

目の前がひらけてきた。白いような灰色のような社が現れた。しかし、社の前にあるはずの、式神の石像はいないようだ。いや、違う。

この音はなんだ…鈍痛のような重い音がひびく。こっちに近づいてくる。

苦しかろう。痛かろう。それは、よくないものを連れるようなお前が来るべきとこではないからだ。ここは、我を好み崇拝する清き真正の場所。

旅人は驚いた。森より大きな獣。白き体から泳ぐ黄色き眼。この森を守る式神であろう獣は、狼だった。社が、式神様の腹中へと納まる大きさへと錯覚してしまう大きさだ。

驚きを隠せないなか、旅人は会話の中で引っかかった「よくないもの」について式神さまに恐るおそる尋ねた。式神さまが言う「よくないもの」が自分の感じるものではないと信じて…。

…そんなことも知らぬか。では、ここが清き真正な場所の意味を語るか。 ここは「自分を愛するもの」が崇拝する社だ。つまり、お主が見ている景色はお主のこころの在り方だ。私は、誰の心にも居る式神だ。その姿は、人それぞれ違うがな。そして、時に姿はまた変化する。

「自分の在り方。自分を愛でる。崇拝する。」旅人は、顔をしかめた。

なぜって、旅人は自分が嫌い。そのあまりに生きることさえ、受け入れられないまま人生の駒を進めている。それが、他者に対しよくないと思われていても自分は生きることを拒んでいる。

それがよくないものと、定めるのならば、自分には不要と考察した旅人は振り返ろうとした。その瞬間、逃がすかと悟った式神さまは、声を置いていった。

お主が自分を嫌いだろうと構わぬが、お主の抱える病は治らぬ。人にも好かれぬ。幸せなぞ、もっての外だ。生きる物はみな、自我を愛でるからこそ、喜怒哀楽というなの歌が生まれるのだ。お前にその覚悟がなくては、生も死も来ることはないのだ。見えない沼にもがきもがけ。疲れても休まぬ、暗き沼で一生を過ごすのだ。私には、お主が逃げようとも逃げられない運命がある事実を知っているように思うがな。

旅人は、背を向けたまま式神さまの話を聞いていた。本当は知っている。

自分が目指す世界に戻れないこと。望んでも戻れない「普通」の壁から下りてしまったこと。今から車輪を変更する覚悟を求められていること。

旅人は、本当は心地よい世界を見つけるための旅に出たのではなく、生きてきた世界と「おわりに」するための決別の旅だということを。

薄々気付いていた。しかし、まさか自分が生きてきた世界を離れるなんて、「普通」というレールを脱線することへの恐怖で足が震えあがっている気持ちを暴かれた。

この式神さまは何を知っている。何を告げたいのか。旅人はうずくまった。

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