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自分をさがす旅 part18 自傷行為

あなたは、踏み止まらなきゃいけない線を越えてしまったことはありますか?それが、生死を分ける大きな壁を作るきっかけを。

私は、中学生の不登校時に複数の市販薬をラムネを食べる感覚で大量服用 ( オーバードーズ=OD ) をした。その時、心療内科に通っていたが、処方箋の薬に手を出さなかった。

あくまで薬局で買える市販薬。頭痛薬・胃薬・腹痛薬をかき込むように1日ひと箱ずつ口にした3日間を過ごした経験がある。

あれから、精神が不安定になるとODをしたくなる衝動に駆られるが耐え、10年の月日が経った。それは、喜ばしいことだと思う。

その喜びは、一瞬で踏み越えてはいけない線を越えてしまった。他者から受けた理不尽な態度と利益に反した金額の要求に腹を立てたからだ。

私の思う常識に、彼らからは「社会の中には説明など要らない」意味のないものをする権利がないと責任逃れを正当化してきた。責任を取れないのにお金は受け取ると悪夢のようなことをさらっと行う施術者。正直、信用がゼロになった。

例えば、ある薬の効果を試したいという目的のために治験者を集めたとする。その際、参加者に「治験の目的・行動・値段・同意」を実験者のもと確認する説明をするだろう。

それを施術者は、参加者にすべき行動を取らず、曖昧な治療を施し、金額は治療代をきっちり回収し、参加者が思わむ症状がでたと報告すれば責任転換された。その態度に、怒りが込み上げ自分の持っている病状が表に溢れ出た。そこに施術者は謝罪をすることなく、稼ぐチャンスが来たと喜んでいる。

私の病状は怒りというエネルギーを源に暴れだしていた。あと数日で、「仕事の日が来る。」つまり、時間との勝負を余儀なくされた。最短の改善策を考えても間に合うことができず、時間に勝つことが出来ないまま出勤した。

私は、病院の医者に相談し、自分の意見として慰謝料と謝罪を請求した。施術者は自分には非がないと頑なに認めず、再度最低な行為であることを認識してもらった時に「あなたのためにやった」と施術者が私に対して想っている気持ちを汲み取れば慰謝料を欲しいとは言わないはずだ。と口にした。

想いは言葉にして、参加者が実感したときに初めて気持ちを理解できる。

そのプロセスを理解してない施術者は私の何倍も生きている人生の先輩だ。それが分からない道理を施術者・指導者であり、親でもある大人が、参加者の身体に触れて治療することはメリットはもちろんデメリットが起こることを一番知っていなければならない。そこに思わむ事態が起きたとしても治療を施したのならば最後まで責任を取るべきなのではないか。と、私は思う。

その最悪の事態が、10年間禁忌として守っていたODという自傷行為に繋がった悲劇だった。今回は精神科の処方箋の中で軽い薬ではあったが、自分の身体を守る目的で無我夢中の行為は振り返れば、「自分の首を絞める」大きな問題となった。

自傷行為は、リストカット・アルコール・薬どれをとっても自分を滅ぼし、抜け殻になった身体を作る危険ドラッグと同じこと。家族や友人が心配する。恐怖を感じる。だから、「止めてほしい」と本人に訴えても届かない。何故なら、本人の意識が恐怖の渦に巻き込まれて考えることが出来ない状態であるから。

自分の怒りは、時として自分の身体を蝕み、意識を失い、あらぬ方向へと進んでしまう。そこに必要なのは、言葉ではなく、本人を抱きしめ傍にいることだと思う。恐怖の渦に引き込まれたこころを本人の身体に戻す作業を周りの人は取り組んでほしい。

自傷行為は簡単に始められる。持続性は短く、習慣化しやすい危険ドラッグと同じもの。そして、ずっと続く恐怖の果ての姿である。

「自分を愛してくれる」存在がいることを再確認するのはもちろん大切だ。だが、言葉の重みは時にプレッシャーとなり、衝動的行為の悔いに気づき、自分を予想以上に責めてしまう悪循環が生まれる。

すべては「ありのままの自分」を受け入れる覚悟と環境づくりが必要。

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