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作品は、作家にとって生命そのものである

1月28日(日)。

姫路文学館特別展「没後50年 姫路が生んだ二人の作家 阿部知二と椎名麟三展」に行った。

恥ずかしながら二人とも存じ上げていなかった。もしかしたら内容が難しすぎて楽しめないかな?いや、難しいなら難しいでそれもありかもな、となかば開き直って鑑賞に臨んだ。

しかしだ。

国の意に沿わぬ表現がことごとく抑制された狂った時代、二人がただ人間らしく生きようと模索する様子が展示からビシビシと伝わってきて、涙があふれてとまらなかった。

「なぜ書くのか」

阿部知ニの自然とヒューマニズム、椎名麟三のほんとうの自由。

在りたい姿を探求し、表現することをあきらめなかった二人の書き手の凄み。

圧倒された。少なくとも私個人にとっては、心に長く残り続ける、忘れられない展示になった。

本特別展は、2月4日(日)まで。

本展示で、心に留めておきたい言葉をいくつかメモした。以下はそのうちのひとつである。

原作は原作であり、映画は映画である。どんな風に映画化されようと、私の小説は良かれ悪しかれ、それ自身の生命力を持ってゐるのだ。お互いの技術と表現の道は異ふが、その根本のところで、できるだけ堅く繋がれてゐなければならぬ。それは今日の文化を前進させようという意志に於いてである。

小説家/椎名麟三

数日後、いたましいニュースが日本中に流れ、人々は深い悲しみと怒りで渦巻いた。

わたしは、ドラマを見ていない上に、漫画も読んでいない。でも原作者が作品に込めている根幹にあるメッセージは、同じタイトルを掲げるならば絶対に守らなければいけないのでは?と思う派だ。

どうかどうか、創作の源泉たる生命力、そして作家の尊厳が、もうこれ以上軽んじられることのないよう、願ってやまない。

根本のところでできるだけ堅く繋がれるためには、いったいどうすればいいのだろう。

文化を前進させようとする意志を前提として、おのおのが考え続けなければならない。

そして、都度声をあげて議論していくべきだ。たとえ立場が弱くても。ライターとしてそう思う。

長いものに巻かれてはならない。自身の尊厳のために。

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