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最近、日本ミュージカル界で起きているあれこれ


最近は忙しいのとめんどくさいのと精神健康的な理由でデジタルデトックスをしていたのですが、久々に旧Twitterを開いてみたら、なんだかよくないニュースだらけですね、、、。

宝塚問題、観客のマナー、チケット代の高騰、、、。

なんだかどーーーんと気分が沈んでしまいました。

感受性強めな性格なので、悶々と考えてなんだか引きずりそうな予感、、、。
なので、ここでザーッと自分の意見を述べて、自分の中で落とし所を付けて、スッキリするために今書いてみます!

この続きはネガティブなトピックに触れていくので読むかどうかは自己責任でお願いします。
完全に私による私のための独り言なので、そのうちひっそりと削除するかもしれないです。

円安

早速私事で非常に申し訳ないのですが、冬休みにヨーロッパでの観劇旅行を計画しておりまして。
最初は作品ラインナップを見ながらウッキウキだったのですが、ホテルやチケットの予約をし出したら、物価高と円安のダブルパンチに精神的なストレスがすごかったです。

何処にもぶつけられない悔しさと虚しさ。
友達と楽しくいくはずの旅行だったのに、関係ないとこでイライラしたりで、すごくネガティブな感情に数週間コントロールされていました。

最終的には
このために観劇も控え、夏休みも何処にも行かずに我慢してきたし、楽しむために行くんだから物価や円安は忘れるっていう盛大な開き直りをしました。
物価や円安のことを一旦意識しないと、日本との価格帯の差をエンタメとして楽しんだり、学生という立場だと調べれば調べるほどサポートや手段が出てきて、利用してみることができました。
お金という変えられない事実を受け入れた上でその対策や方法を考えることで気持ちに余裕ができて、今では楽しんでいます。
何事も捉え方って大事ですね。


チケット代の高騰

これに続くお話がチケット代の高騰だと思います。
円安やコロナ禍、物価高による版権料の高騰はもちろんだろうし、それでスタッフやキャストのサポートが十分に行われるのであれば喜んで払います。とはいえ少し通いづらくなったのも事実。
以前は何も考えずにトキメキや好奇心に従って取っていたチケット確保の時間が、吟味に吟味を重ねる時間になってしまったのがなんだか寂しくて悲しいなと感じます。

たかが数千円、されど数千円なんですよね。

チケットを取るまでで気持ちがネガティブに向かっているのは観劇体験として非常に残念だなと思っています。

また版権料の高騰に対応するのであれば、単に一律でチケット代を上げるのではなく、座席区分を細分化したり、プレビュー期間を長めに設けたり、いろんな工夫ができると思うのですが、商業として難しいのでしょうか?

チケットが売れない心配があるのであれば、リピーターに頼ったシステムはなく、さまざまな層にプロモーションをかけたり、sing alongみたいに従来と違った体験の公演を設定したり、いろんな方法があるはずです。もし余裕があるのであればぜひ実行してみて欲しいところ。

結局、リピーターやファンの存在にあぐらをかいているのでは?と問題提起したくなる運営が多いのがモヤモヤしてしまう原因なのかなと思います。

観客の観劇マナー

かれこれ一年以上演劇関係のバイトをしてて、わかったこと。

自分の常識をはるかに超えるマナー違反のお客さんはいる。
映画と全く同じ感覚で、ご飯を食べたり、それ以前のレベルですが、携帯見たり、電話に出たり、おしゃべりしたり。
たまたま見ちゃったとんでもお客さんエピソードは観劇が趣味の方には絶対あると思います。どの席種でも。

せっかくの観劇が作品全体含めて印象が悪くなってしまうので、本当になくなって欲しい問題。
個人個人の意識の違いが原因なので、なかなか対策も難しく、開演前の声かけでも限界があるのも、またモヤモヤ。
もう一人一人にチケットもぎりの時に声かけするとか?(無理)

しかし、この問題。
英米ではあんまり気にならなかったんですよね。(ざっと三十公演ぐらい見てきて)
なぜなら、座席区分の細分化と圧倒的な価格差により、お席の価格とマナーの良さが比例しているから。
いいお席座っている方ってそれなりの金額を払っているか抽選組のガチ勢かその価格帯に価値を見出している方しかいないので、必然的にマナーは良くなるのかなと思います。

そう考えると、海外のチケットの価格差には観劇環境も含まれているとことになり、円安や物価だかのチケット代も納得してしまう自分がいます。



宝塚問題

さて、ついに触れちゃいました。
実はこの問題だけはちゃんと追っていて。(ヅカヲタでもないのに)

というのも、私2年前くらいから日本の舞台芸術も勉強しようと思って、伝統芸能から何でもかんでも思いつく限り一通り全部勉強して、観劇もしたんです。
そして、今まで踏み込まなかった宝塚の観劇もしました。
そんな宝塚の世界はあまりにも新鮮で、その物珍しさからDVD買って、友の会入って、と順調に沼に入りかけていたのですが。

全時代的な空気感や納得のいかない特殊なシステムがどうしても腑に落ちなくて、翌年にはあっさりと見なくなりました。
それでも、日本のミュージカル界での地位は絶大ですから浅く追ってはいました。

そこで今回の事件。
亡くなった方、そしてご遺族が不憫でならなくて、心からご冥福をお祈りしてます。

そして、私が感じていたあの違和感はやはり大きな問題だった。
報道がされる前から、映像や雑誌からの発言などから過酷な労働環境で異常なまでの上下関係があることは薄々気づいていたはず。
しかもそれをやたら美談として紹介していたことにはやりがい搾取や全時代的な価値観が透けて見えていました。
臭い物に蓋をするように見てみぬふりをしてきたファンもいたのではないでしょうか?

ファンでもない人間が意見するのはどうかと思いますが、やはり異常だと思います。

まだ若くて世間知らずな中高生からあの環境での生活は洗脳だし、構造はまるでカルト宗教。

もちろん入団されたことは自分で選んだ道ですが。
あくまで中高生の判断力で選んだ道です。
思い返してみて、煌びやかな世界に魅了された中高生が自分が置かれるであろう労働条件などをしっかりと吟味した上でその道を選択することができたとはとてもじゃないけど思えません。

入団後も就業経験がなければ、その世界が絶対になるし、劇団と対等に意見することなんて到底無理。
器用で優秀な人ならその後のキャリアも見据えた上で、動けるかもしれませんが、そんなことはなかなか難しい。

退団後だって、就職しようにも学歴もない中で難しい。(昭和ならそのまま結婚という永久就職でもよかったかもしれませんが)
退団後の就職サポートや在団中にもセカンドキャリアに役立つ専門的な資格を得られたり、他の選択肢が残されるカリキュラムが用意するとかあればいいものの。

そもそものシステムがおかしいなと思ってました。
所属している劇団員の若い女性たちの可能性を潰していると。
舞台芸術の現場はなかなか明確に労働環境を整えるのは難しいと思いますが、いろんな方法を考えて調整するのが劇団の仕事のはず。
それも含めたチケット代だと思っていたのですが、違ったんですね。

結局商品としてしかみておらず、サポートなんて何にも考えてないんでしょうね。(個人の想像です)何処まであぐらをかいているのか。

きっと長年在籍している方はそれに耐えて、切り抜けられた人か。
完全に洗脳されてしまった人。
この二つに分かれているように感じます。

今回の問題で、パワハラをしたとされる劇団員さんを誹謗中傷されていると聞きましたが、それはなんか違うよなぁと思います。
その方々も劇団の被害者だと私は考えています。

正直、今までも今後も観劇予定はありませんが、一つの企業として、おかしいと世間に証明されたことで、労働環境が改善されることを外野ながら祈っております。


まとめ

ネガティブなトピックをダラダラと書いてしまいましたが、モヤモヤしていたことをかけてスッキリしました。

お付き合いくださった読者の皆様、ありがとうございます。

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