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72歳でリタイアする母の軌跡を振り返った

今年72歳になる母が、2月でリタイアし年金生活になるそう。
とうとう、その時が来た・・・。

母は、私が物心ついたころからずっと働いていた。
私が中学生の時に両親は離婚したのだけれど、その前も、そのあともずっと働いていた。
特に離婚後は、私立に通っている私の学費のこともあり、いくつか仕事を掛け持ちして夜遅くまで働いていた。

私が子供のころ、母の生い立ちを聞かされたことがある。

母は幼いころ、4人いる兄弟のうち、母だけが叔母のもとへ養子に出されたのだそう。
社会科見学や遠足などの学校行事や、放課後に友達が遊んでいるところには参加させてもらえず、母の言葉を借りると、「まるでお手伝いさんのように家の仕事をさせられていた」のだとか。
この頃から、すでに働いていたのである。
(念のため伝えておくと、母の叔母は、私にとってほんとに優しいおばあちゃんだった。)

短大に通うために、住み込みのアルバイトをし、学費を稼いだ。
短大卒業後は、外資系会社に就職し社会人として働き始めた。
結婚後も、共働き。
離婚後も、働いた。

非正規雇用のため、定年の概念はなく、動けなくなるまでは働こう、と思っていたようだ。

私が就職してからは、ようやく肩の荷がおりたようで、なんだか雰囲気が明るくなったのを感じた。
そこからは、軽やかに働いていた。
生活のためはもちろんだけれど、「職場の仲間とおしゃべりしに行く感じだよ」と楽しそうだった。

私の結婚後、孫が生まれた後も、働いていた。
職場の仲間に、私たち夫婦や孫の画像を見せて話すのを楽しんでいたようだ。

孫とLINE電話するときも、時間帯的に職場からの帰路のことが多く、
「ばぁば、お仕事?」とよく聞かれていた。
孫から見ても、ばぁばはいつも働いている、という印象が強いかもしれない。

そんな母が、2月でリタイアする。
ほんとにこれまでお疲れ様だったな、と思う。
仕事を辞めるのも、母都合ではなく勤めている会社がテナントを撤退することになったから。
これがなかったら、足腰が立たなくなるまで働いていたのではないかと思う。
沖縄の女性は働き者と言われるけれど、それをまさに体現する人だなと思う。(母と私は沖縄出身)

2月で仕事を終えることを私に話した時、少し寂しそうだった。
「これからは、たくさんレイ(孫)を連れて帰れるようになるよ。私が仕事している間、レイを見ててよ。」と伝えると、また新たな仕事?ができることに嬉しそうにしていた。

3月から母の新しい生活が始まる。
ここからは、仕事以外の好きなことを好きなだけ楽しんでくれるといいなと思う。
まずは、ネットをつなげてNetflixでも契約してあげて、大好きな映画を目一杯堪能させてあげたい。


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