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『大正を駆けるエス』 : 俳句から小説‐2

『雨の糸つれぬ笑み浮く金魚玉』‐せきぞうさん解釈の物語

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キヨ様

貴女はどふ思われるか分かりませんが、私しはどふしても嫌なのです。
溜息を漏らすことも、なみだを流すことも
暖簾のれんが上がるたびに あのお方の影かもしれぬと
恋焦がれ そして心をすぼめることも…もふ全てきつぱりと
終わりにしたひのです。
ふつと湧き出た儚さに 私しの胸が締め付けられ
見えぬところで頬を濡らす…それでも崩れる事のない私しの姿勢。
それなれば、
追ふ恋よりも 私しは 追われる恋を選びたひのだと。
始めから折れる心のなひ、普段の私しを突き通そふと
そふ心に決めたのでございます。
貴女の恋にはこれからも寄り添わせていただきく思つております。
けれど、私しの恋は…ほのかな色を加えながら少しづつ変わろふとしている事をお分かりいただければと…。これからも あのお方に寄せる私しの心に変わりはありません。
ただ、私しはかき乱される者でなく、
かき乱す者になる為に、これからは心をも凛としてゆきたひ。

貴女からのお手紙をお待ちして居ります。
静子



静子は丁寧にふみを三つに折ると、筆を机の上にそっと寝かせた。
母のいる居間をスッと抜け、玄関先で黒いぶーつを編み上げると
さらりと矢絣やがすり柄の袴がそれを覆うように立ち上がる。
そっと文を胸に持ち、静子は通りを歩き行く。

石階段を上ると茶と白のブチ猫がごろんと心地よさそうに日を浴びて、
幼い子供達が 一人また一人と 凛と歩く静子の横を走り去り、彼女の黒髪を躍らせる。

静子は恋をしていた。
来る日も来る日も静かに心を揺らし、
しげるという青年を心の中で温めていたのである。


§

茂さん…私よりも頭一つ程背丈のある彼は年の四つ離れたの兄の友人。
物静かではあるが、陽気で突発的な兄の隣で優しく兄を制したり支えたりしている、そんな方である。
年の割には落ち着いた態度に ゆらりと言葉を流すように話す口調。
柔らかに微笑む細い切れ長の瞳が 私の心を大きく揺さぶる。
幼い頃からいつも私の家に来ては笑顔を共にしていたのに、
幼い子供から男へと変わってゆくその過程の…
今となってはぼやけた細い境界線の何処かで、
茂さんの微笑みに赤らむ自分の頬に手をやった。
膨らみを増した胸に わたし自身も女に変わったのだと、
頬を抑えながら つま先を眺めた時に初めて気づいたのだった。

女は男よりも二足先に大人になる…

幼い頃に両親に言われた言葉。。。それに加えてあの兄であるから、
私はまるで一家の第一子かのように
幼い兄弟たちの面倒を見、家族を支えてきたものだ。
気づいた時には 年上の方との差も感じぬくらいに、
私は大人になっていた。
というよりも、早く…人一倍早く、大人にならざるを得なかったのかもしれない。

茂さんの姿を見ては心跳ね、
他の女と私の横を歩き過ぎる彼に心を枯らし、
真っすぐに見つめられてはハラハラと波を立て、
どこか遠くを想う彼の横顔に溜息をこぼした事があったのも事実だ。
そう…キヨさんのように素直に…。

ただ私はそのような時にでさえ、まっすぐ前を向いて
何もなかったかのように振舞い続けていた。
女である前に大人であることを選んでいたのだ。

でも…

わたしも「女である」と…そう茂さんに気づいてもらいたい。

筆を取る前に母の化粧台の前に座り、唇に色を重ねた。
仄かに香る水を そっと首筋に這わせる。
鏡に映る己の瞳をじっと見つめ、私は追われる女になるのだと…
そう心に決めたのだ。



六丁目の角を曲がるとキヨさんの家がある。
その手前何軒か前には茂さんの下宿する宿があった。
心に決めたとはいえ、もしかすると茂さんの姿を見れるかもしれないと、
ちらりと横に走る目を素早く足元へとやった。
文を握る手にぐっと力が籠ってしまう。

「静子、貴女は女であるのだから…」

頭の中でそう呟いて前を向くと
すぅーっと何かが取り払われたかのように我に返った。



キヨさんの家に近づくにつれ、彼女の家の前に立つ一人の長身の男が茂さんだと気づくのは、私にとってはあまりにも容易な事であった。


「シズちゃん」

私の足音に振り向くや否や、屈託のない笑みを浮かべ茂さんが言った。



「こんにちは 茂さん…」

この時…
私はまるで 自分自身ではないかのようだった。。。


自分の顔を今ここで鏡に映してみてみたいと そう思った程に
私の中の「女」がここに立っていた。


うっすらと紅色に染まった唇をそっと膨らませるように突き出すと
ゆっくりと睫毛が降りおり、
そしてまたゆっくりと上がる。
開ききらない瞳でそっと彼を覗くように見据えると
ゆっくりと首がかしげ傾き
口元がほんの少しづつ隙を開ける。
すっと視線でおじぎをするかのように目を落とす。
私の瞳はまるで繋ぎ絵のように
一コマずつゆっくりと動き
彼の瞳に映しだされていった。

茂さんは一瞬 時を止めかのように私を見つめていた。
はっと視線を地面に落とし、再度おもてを上げた時にはいつもの彼の優しい笑顔を蓄えていた。

今ひと時…私は彼の心をつかんでいた…?


「今日は誰かと…待ち合わせ…かな?」

少し躊躇を含んだ声を私に向ける。


どうやって振舞ったのか分からない。
でも私は 口元の角が少し上がるのを感じながら、
ただ ふふっとこぼす…。
まるで平野に投げ出された小さなネズミを見つめる大蛇のように微笑むと、
彼もまた…大蛇を前に、視線ををあちこちに散らすネズミのように視線を泳がせていた。
彼に注いでいた視線を横に流しながら、
何も言わずに そっと彼の横を通り過ぎると、
鏡の前に置いた香り瓶が 私の軌跡をなぞるようについてくる。
凛とする背中に彼の視線が集まるのを感じながら
キヨさんの家の門をすぅーっとくぐった。。。。


戸をくぐったところで 壁にもたれるように身を寄せた。
冷ややかな壁がゆっくりと私の熱を冷ましてゆく。
今起きた事が まるで芝居の一シーンであるかのように思え、でもそれ以上に その主人公が自分である事に驚いていた。

無理をして笑顔を繕っていた大人の自分とは全く違う
「女の自分」を出すことが、こんなにも容易たやすく出来てしまうだなんて…。
思わず手で口を覆う。


『私は女である事を
ずっと
茂さんに見せつけたかったのだ。。。』


「心」の鍵を外しただけの決意が 私の中にいる「女」をも開錠してしまった事を知ってしまった。

と、
驚きと共に込みあげる
嬉しさにも 優越感にも似た感情が湧き上がる。
高揚感が心の奥でぐつっと音を立て、
手で覆われた口元から
今までに感じたことのない喜びが
目覚めを含んだ笑い声と共にこぼれ落ちた。



そこから…

私の中の『女』全てを開放するまでに

そう 

時間はかからなかった。


§



静子さん

月明かりが出るころになると私しの目のまへに貴女の姿がちらつきますの。
一体私しはどふしたらよろしいのでしょふ。。。
幼い頃からとても整ったお顔立ち…
何時々いつどきも雛壇に飾っておきたいほどでしたが
あのあどけなさは何処へやら…
近頃の貴女はとても艶やかで
女の私しさえも虜にするよふな美しさを秘めているよふに感じるのです。
もしも
あの方への想ひが貴女をそなにも美しくしたのであるならば
私しも、、、貴女の足跡をなぞり
追われる身になりたひと思ふのでござひます。
私しの乙女心を震わすたびに、
貴女のふつむき加減に乗せる笑みが浮かび
羨ましく、また私しも
そのよふに微笑んでみたひと思ひてやまなひのです。

あの縁日で…貴女が欲しひと呟きました金魚玉…
ゆふかたに それはそれは嬉しそふに店の前で玉を買ひ求めてひる
あのお方を目にしましたの。
その玉は
もふ 
貴女の家の軒先に吊るされてひるのでしよふか?
キヨ



ぽつり ぽつりと文を打つ雨の雫が
じんわりとキヨの書に滲んで行く。
文を読み終え そっと折を畳むと
静子はそっと軒先に下がるびしょ濡れの玉をゆっくりと撫でた。

襟元の後れ髪が雨の重みを含んだ風に揺れ
束ねた髪結いがするっと一筋顔にかかる…

指先で髪をすくい取り耳元へと流し 再び玉に目を合わせると、
降り仕切る雨の中、
傘もささずに遠ざかってゆく茂の背中…。

少し丸まって見えるのは
雨のせいか…
それとも 私の連れぬ態度のせいか…?


「可愛い人…」


そう呟いて人差し指で玉を突くと

ゆらりと揺れる玉の中に

美しく微笑む「女の静子」が 満足げに浮かび出されていた。



(終)

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俳句から小説第二弾はせきぞうさんが寄せてくださった解釈より作りました。


せきぞうさんの描かれるアート。(↑なぜこの投稿かって?次元ファンだからです!!(笑))
エンピツ、デジタルにアナログ、水墨画に毛筆…とにかく幅が広い。なのに全ての特性をこれまでかと言う程活かし描かれた作品ばかりで圧倒されます。私の娘はせいぞうさんのファンです…ふふふ。


以下、私の句に寄せてくださった せきぞうさんの解釈。

「雨の糸つれぬ笑み浮く金魚玉」

糸のように降る雨、
軒先に吊るしてある金魚玉に
つれなくした私の笑みが
浮かび上がるかのように
映っています。

情景を考えてみた、

金魚玉がほしいと
わがままを言った。
雨の中、
金魚玉を届けてくれた彼を
玄関先で、さっさと
追い返してしまった。
S気のある私は、
彼につれなくした態度に満足し
笑みを浮かべている
金魚玉を見るたびに
今日の事を思いだし、
笑みを浮かべるだろう。

〜〜〜〜〜おわり〜〜〜〜〜

大正時代のお話だと、いい感じかな〜〜

投稿「金魚玉」に寄せてくださった せきぞうさんのコメントより


S気に大正。
この時私には取り入れたいものがありました。それが…
【大正時代の エス】
エスとはSistersの頭文字を取ってつけられた、大正時代のある関係性を表す言葉なんです。
小説の中で使った文交換…いわゆる手紙のやり取りは、大正時代に多くの女学生の間で行われていたもので、お互いを褒め合ったり、時にはまるで恋人に宛てる様な文章で女同士で交わされるもの。まさに姉妹の様な関係性を示す言葉だったんです。

大正時代のお話という事で、S気とエスを合わせてみました:)


私のへたっぴな句に素敵な解釈をして届けてくださった せきぞうさん。
せいぞうさんの浮かべてくださったストーリーに見合う物語に仕上がったでしょうか?

創作とは、「生まれる」ものもあれば「繋がる」ものもある…
前回と今回の私の創作は、大切なお友達から繋げていただき生まれたものです。
今回私の想像を思い切り伸ばしてくださった せきぞうさん、そして前回の物語「二つ人」の源を届けてくださった片思いさん…
大切なお友達お二人に心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました!!

前回の作品 ;片思いさんが源の物語はこちら。

二人の人を愛するという事…金魚玉に溜まりゆく物は何なのか。


私の金魚玉の俳句投稿はこちら。

コメント欄で繰り広げられる、様々な物語。
沢山の素敵な方々が私のつたない句を丁寧に読み解いてくださり、そしてそっと届けてくださいました。



今回もお付き合いいただき、どうも有難うございました。


七田 苗子


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