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御朱印帳は持ってそうで、持ってない。って話と《オマケ》でやってみた。


「御朱印集めてるでしょ?」
「御朱印帳持ってそう」

しばらく話した人には、そう言われる事がある。
私が寺社仏閣の話をするからだろうか。

けれど、それらに対しての答えはノーで
私は御朱印帳を持ったことがない。

「なんで持ってないの?」
「集めたらいいのに?好きなんでしょ?神社とか」

もっともらしい理由を言えば
「私は参拝に行ってるわけじゃないので、その証明である御朱印をもらう立場にない」

神や仏に呼ばれるわけでもないし、そんな神々と縁を結びに行くわけでもない、頼みごともないし、己に釘刺しに行くわけでもないので、正式な挨拶はしないというのが私の神社や寺との付き合い方である。

こんなんで、御朱印だけ貰って帰る奴に私はなりたくないんだ。貰うなら、きちんと参拝するよ。



そもそも、私が行く「神社」や「寺」は御朱印をくれる場所がない場合が多い。

「おいで、おいで」と呼ばれる感覚のままに、あーはいはい寄らせてもらうねーと寄っていく。
そして、誰もいない参道に立ち、駒様に「良い天気だね」などと話しかける。
気ままに境内を散歩して、花達の写真を撮ったりして
「気が向いたらまた来るね〜」と帰る。

お賽銭をすることもあるが、挨拶のための鈴は鳴らさなかったりするし、きちんと柏手を打ったとして『いやぁ、人間しんどい、とりあえず頑張るわー、人のいない時にまた来るわー』などという、なんとも勝手な言い分だけ残したり。


参拝客の一人もいないときが多い。
地域の人間以外は立ち寄らないような小さな場所が多いのだ。


寂れた神社や寺は良くないと言われているが、そんなもん、その神社や寺によるだろう。
「人がいっぱいいるから平気!それだけ慕われている場所なら、きっとご利益がある!」なんて、本気で思っているのだったら、それはちょっと危ないのである。
もちろん、寂れた場所も場所ならば気をつけなくてはいけないのだけれど。

夕方には行かない。夜も祭りの時だけ。
何時だって、行くなら朝か昼間だ。
朝が一番好き。

鳥居の向こう側が恋しい世界

写真の所に呼ばれた時は刹那く、寂しかった。
『花を見に来て』というので、行ったのだった。
数キロ自転車をこいで。

この間呼んでくれたとこの桜は綺麗なヒトだったよ。

あのヒトじゃなく
このヒトね

いつもね、参道を見るの。
コマ様の横から見ると、どういう場所かだいたいわかる。

私は、神社とかに『そういうの』感じ取りに行ってるから、御朱印貰うと違っちゃう。

好きも、楽しみ方も、付き合い方も、ちょっと違うんだよね。

丁寧に挨拶して、参拝している人は、御朱印ぜひ集めるといいと思う。
可愛いのとか、綺麗なのとかいっぱいあるみたいだし、思い出にはいい。


それぞれ。
そういう場所やモノ達と付き合っていけたらいいなぁと思う。



《オマケ》
私もAIに遊んでもらったよ。

ちなみに結婚前と結婚後の名字&名前、それからnoteネームでやった。

これは
結婚後の本名。誰これ。
これ、koedananafusi。
…流石にここまで強くないと思うよ?
これ、結婚前の名字の私。
背景が森なのと睨みつける感じなのは近いかな。


共通点なくね??
まぁ、koedananafusiの画像出てきた時は、ちょっと吹き出したけど。笑
この記事思い出した。笑

遊びとして、面白いよね。


…ちなみに記事を出す直前にkoedananafusiだけもういっちょ遊んでみたら

なんなのさっ!!wwwww

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