小説の「ネタを思いつくこと」と「書くこと」は違う


これは困った物である。

今までネタを思いつけば小説を書けると思っていた。

しかし、それは短編の世界だけだったようだ。

長編を書くときは、ネタを思いついてもそれだけで小説が書けるわけではない。ということに気がついた。

ここにはいくつかの難しさがある。

「思いついたネタをメモとして記録しておくことの難しさ」

「活用できるネタは少ない」

「ネタを小説に変換するのは難しい」

それについて軽く書いてみたいと思う。


ネタを思いつくとき

ところで、あなたはどんなときに小説のネタを思いつくだろうか。

こんなことを書きたい、こんな展開がおもしろい、そんなことを思いつくのはいつだろうか。

もし、パソコン画面をのぞきながらそれを思いつくのであればあなたは天才だ。

しかし、たいていの場合はそうではなく、自分の場合もそうではない。

人によっては散歩中という人も居れば、トイレの中という人もいるだろう。

自分の場合は、風呂・寝る前・朝の夢うつつの時だ。

もちろん、いずれの時もキーボードを前にしている時ではない。


思いついたネタをメモとして記録しておくことの難しさ

思いついたときにすぐに書けない場合、たいていの人はメモをするだろう。

「記憶をしておけば十分」という人もいるかもしれないが、大抵はそれは失敗する。

記憶というのは案外当てにならない物であり、おもしろいから忘れない、つまらないから忘れるという単純な物ではない。

小説のネタみたいなものは、おもしろくて日常生活の中で記憶から揮発してしまう。

だから、メモをする。

しかし、メモは難しいのだ。

なぜなら、なぜならそのとき思いついたすべてを書き記すことはできず、一部分しかかけないからだ。

そのメモを見返せば、なにを思いついたかということはわかるが、その思いついた瞬間の脳みそに戻れるわけではない。

結果、メモった時に思いついたそのものを正確に再現して描くことは困難だ。

そして、「メモを元に書いてみたけど、いまいち」あるいは「メモを見たけどどうみてもつまらない。なんでこんなものをおもしろいと思ったのか。書くのを止めよう」となる。

しかし、実際に思いついたときはおもしろかったはずで、そのおもしろさの根幹をメモに残せなかっただけだと思うのだ。


突破1、メモの精度を上げる

メモの精度を上げるというのは有効な手だ。

例えば、「おもいついたセリフを1行書く」程度ではそのとき思いついた要素を記述しきれない。

どういう場面でどういうキャラクターがそのセリフをいい、他のキャラクターがどう反応したか。

それを頭に描いたときの面白さであり、セリフだけでは面白さをつくれていない。

だから、○○というキャラが「~~」というセリフをいう、そして○○というキャラクターがこういう反応をして、それがおもしろい。

という風にメモをしないといけない。

言うのは簡単だが、とっさにこういうメモを取るのは案外難しい。

かなりの鍛錬が必要される。


突破2,そもそも妄想を変える

実はメモをしたところで使える妄想というのは案外少ない。

物語にプロットがあるとして、その中の1場面に相当する妄想であれば活用できるのだが、よくあるのがただのシーンの妄想だ。

「こういうシーンがあったらすごくいい」

それはまちがいないのだが、残念ながらあとでそのシーンをどこに入れるか思いつかなくてボツにすることが多い。

ということで、まず妄想をするところからして「使える」妄想にした方がコスパがいい。

「ピキーン! こういうシーンを思いついた!」

ではなく、

「あそこでああいう流れがあるよな、そのときあのキャラクターがこう行動したら……」

みたいな妄想をした方が使える妄想になる。

こういった妄想を精度よくメモすれば、そのアイディアは高い確率で作品に生かされる。


突破3,その場で書いちゃう

究極の技だ。

この場合も使えない妄想は意味は無い。

プロットにきちんと載ってくる妄想をしたとしよう。

そして、その妄想を思いついた瞬間、流れを全部紙に書いてしまうのだ。

ここはスピード勝負。

とにかく大まかなセリフと流れだけを頭から消える前に書かないと行けない。

個人的には万年筆をおすすめする。普通のボールペンより遙かに早い出力ができる。

そして、とにかく汚い字でも何でもいいから、思いついたセリフと流れを書いてしまうのだ。

ここまでいくと、相当な確率で作品に反映できる。


活用できるネタは少ない

これまでの流れで精度良いメモをたくさん取ったとしよう。

ではそれを全部使えるかと言われると、そんなことはない。

「アイディアはメモを取れ」とよく言われるが、実際には「使えないネタも多い」ということはあまり教えてくれない。

創作するならネタを捨てることもできないといけない。

この後、ネタを小説に変換するわけだが、そのときに使えなかったネタは捨てないと行けない。

「いやいや、取っておけばまた使えるかも」

と思うかもしれないが、個人的には捨てた方がいいと思う。

一時、ネタをたくさん書きためたことがあったが、それは結局使えずにほとんど捨てている。

そもそも、ネタというのは古くなるほど頭の中から揮発していき、メモ程度では十分に再現できなくなる。

そんな使えなくなったネタをためておくと、管理も面倒だし、新しい発想もしにくくなる。

思いついたネタ全部を活用しようとするとドツボにはまるので、見切りをつけたネタは捨てるほうがいい。


ネタを小説に変換するのは難しい

さて、精度の良いメモでネタを記録し、使えなさそうな物はすでに捨てた。

では、その使えそうなメモの束を持ってパソコンに向かおう。

そうするとどうなるか。


私もそうなのだが、だいたい絶望する。

ネタはたくさんある。

でも、1行目になにを書いていいか分からない。

そんな自分になぜだ、調子が悪いのか、と自問自答する。


が、ようやくその問題の正体が分かってきた。

そもそも、ネタと小説の間にはかなりの距離があるのだ。


例えば、あなたがこれまでの私と同じように、「思いつき型」作家だったとしよう。

そうすると、あなたは何か良い場面を思いついて、その場面を描いて小説を書き始める。

そして、その場面から展開する内容を考えて、物語を順番に進めていく。

そこにプロットはない。

だから、進めていった結果、物語が袋小路に陥って止まってしまったり、あるいはとてつもなくつまらない展開になって書く気を無くしたりしてしまう。

そんなある日、風呂や布団の中で、「お、こんな場面あったら楽しいな」と思いついてメモをする。

しかし、そのメモを手にしてまたエディタを開いても、そこにはどん詰まりになった小説のお尻があるだけだ。

そして、どうにもならずに絶望する。


実際どうすればいいかというと、メモを持っていってパソコンを開いてはいけない。

メモを持っていって、まずでかい紙を開く。

そしてでかい紙に作品のおおざっぱなプロットを書き、そのプロットの中にそのメモの要素を詰め込むのだ。

(個人的にこういう構想段階だと紙の方がやりやすい)

もし、プロットにネタを入れ込める余地がなければ、残念だがそのメモは捨てるしかない。

うまく入れられたら大成功だ。

そしてそのプロットを持って、パソコンに向かうのである。


ということで、「ネタ」と「書くこと」の間には「プロット」が入る。

最近それを実感しているところだ。


結論

メモは精度良く取る必要があるし、できればプロットのような形で書き留めた方がいい。

そして、書きためたネタは全部使えるわけではなく、思い切って捨てる覚悟は必要だ。

そして、ネタはプロットに落としこんでからパソコンに向かう。

メモを持ってキーボードに向かってはいけない。


考えながら書いていたら、随分と偉そうな文章になってしまったが、これがとりあえずの結論だ。

本当に書くのは難しい。

とくに長編作品は。

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