「「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本」がめちゃくちゃ面白い

「「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本」

長いが本当にこういうタイトルの本だ。

嘘だと思ったらamazonで検索してみるといい。

明治時代のエンタメ小説を紹介する本なのだが、これが非常に面白い!

さぁ、買って読むんだ! 終了!


というのも素っ気ないので、途中まで読んだ内容を紹介する。

ちなみに、まだ舞姫の主人公をボコボコにする作品までは到達してない。


斜め上過ぎる明治のエンタメ作品達

当時の純文学と言ったらやたら苦悩して自殺したりしていたが、大衆娯楽は全然違った。

大衆娯楽は「売れるため」にやけくそと言っていい勢いでとんでもない物を次々と生み出していた。

・「東海道中膝栗毛」の弥次喜多が宇宙に旅する。または、ミクロになって人体の中を旅する

・水戸黄門の弟が崖の上から1トンの石を投げて寺を破壊する

・阿弥陀如来の力を帯びたヤクザがキリシタンの教祖を退治する

・天秤棒を振り回してロシア兵をぶちのめして戦う

これは私の創作ではない。

実際に、この本の中で紹介されている、実在した明治の本の内容だ。

これと比べれば「なんでもあり」と思われている「小説家になろう」のバリエーションなんて月とすっぽんだ。

現代の我々でもそこまで思いつかないというほどのとんでもない作品が並んでいる。

小説好きなら「トリストラム・シャンディ」という変な小説のことを知っているかもしれない。

知らない方は読む必要は無い、Wikipediaを見ればだいたい分かる。

あれはまさに変な小説だ。

しかし、トリストラム・シャンディは「点」でしかない。

明治の日本は「面」で大量の作家が大量のおかしな作品を生み出していたのである。

さすがは我々のご先祖様だ。


現代と明治の「技術力の格差」

そして現代と比較すると、技術力の格差が歴然と存在する。

発想はぶっ飛んでいても、それをおもしろい作品として成立させる物語の技術力があきらかに現代と比較して劣っているのだ。

それを見ると、現代の我々は現代日本の文化力の高さを実感して俺TUEEE的な感動を覚えてしまう。

・物語のフォーマットが古すぎた

明治であっても江戸からある古い物語のフォーマットを使っており、新しいエンタメをうまく表現しきれなかったらしい。

現代の我々が使っているような「魔王と勇者」「剣と魔法」「中世ヨーロッパもどき」のテンプレートを知っていれば、明治のエンタメ作家達ももっとおもしろい作品を描けただろう。

・作者が息切れして後半グダグダ

現在でもあることだが、当時はもっと酷かったようだ。

おそらくプロットとかがなかったのだろう。

・キャラクターを活用できなくて殺してしまう

現代であれば容易に活躍のさせ方を思いつくであろうキャラクターを、当時の作者は扱いに困って殺してしまった。という事例が出てくる。

・人格が安定しない

行動や言語に一貫性がなくて、完全に人格破綻している。

・大量の伏線をはっているが回収されない

・設定は作ってあるが活用されない

・クライマックスがしょぼい

4巻もかけた作品が「イエッ」「バッ」といった擬音まじりの10行程度の仇討ちで終わってしまう。

話芸が元になっているので、今の小説と違って終わりがあっさりとしている。

・その他、設定やあらすじはおもしろそうなのに、読んでみるとおもしろくない残念な事態の数々(要は活用できていない


やはり、時代の進化に従って技術力が上がってきて、そして今の小説・ラノベ・アニメの文化があるのだなぁと思えて非常におもしろい。


現代に通じる要素

また現代に通じる物語のパターンもすでにある。

・化け物相手に飛び道具を使うが通じない。

今もよくある。なぜか飛び道具がきかないという展開はテンプレだ。

・キリスト教が化け物

キリスト教徒になると呪文を唱えれば人を眠らせ、稲妻を落とし、空まで飛べる。

現代でもキリスト教にはとんでもない能力者がいるという設定の作品はけっこうあるが、それの元ネタみたいな感じだ。

・遠距離特殊攻撃・必殺技の存在


こういったものはすでにあって、今のエンタメにつながっているのだろう。


とにかくおもしろいので、読むべし!


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