読者は主人公に関係ないことには興味が無い

ふと前に書いた自分の作品を見てみようと思って、久しぶりに開いてみた。

「この転生系クソラノベにはヒロインが居ません」という1-2ヶ月前に書き終えた作品なのだが、読んでみると普通に忘れている。

忘れていると言うことは他人の視点で読めると言うことであり、あらたな発見があるはずだ。

そして、読んでみて、細かいところには気がつく物の基本的にはすらすらと読めた。

ところが、だ。

あるところに来て、突然、物語を追えなくなった。

それはなにかというと、じいさんが突然変な昔話を始めるところだ。

じつはここ「いきなり変なじいさんが変な昔話を始めたら、その昔話がおもしろいんじゃないか」と思って書いたところだ。

書いたときは非常に楽しかった。

しかし、今読む方に回ってみるとそれがネガティブポイントになっていた。


大事なことは「読者は主人公に関係が無いことには興味が無い」ということだ。

「書くときと読むときの速度」と、「作者と読者の興味の範囲の違い」について書いてみようと思う。


書くときと読むときの速度の違い(主題が変わるなら章を変更しろ)

当然のことであるが、作者が文章を生み出す速度には限界がある。

しかし、読者は一字一句読むことも出来れば、さーっと雰囲気だけ追ってすごい速度でスクロールすることもできる。

読者に一字一句読めと強要することは出来ないし、実際、自分も本気で無いときはさーっと見てしまう。

そこが大きな問題になる。

作者は時間をかけて書くので、一行から次の一行に移ったときに頭の中身をチェンジできる。

つまり、じいさんが昔話を始めるときに、すでに作者の中では主題が変わっているのだ。

ところが、読者というのはすごい速度で進んでいく。

行が変わった程度の時間で主題を変更されても追いついていかない。

一行前までは「この主人公と小林はどうやってこの世界でやっていくんだ?」という疑問を持っていて、そのままじいさんの話に突入して突然話題が昔話になる。

読者は突然振ってきた昔話に訳が分からず、「?」となんとなく流し読みをしてしまう。

作者が狙った昔話の中のおもしろさを味わえない。

実際、今回自分が読みなおして、まったく笑えなかった。

「なんか本題と関係ないなぁ」と流してしまった。

つまり、「行を変えた程度で主題を変更してはいけない」ということである。

今回のケースであれば、昔話が始まるところで章を変えればこんなに混乱することは無かったはずだ。

(もっともそれだと「突然変な話が始まった」という効果は薄れてしまうが)


作者と読者の「興味の範囲」の違い

作者というのはその世界すべてに対して責任を負っている。

つまり、物語内で描かれるモブの一人から、歴史設定、建物の様式、支配構造の体制まで、なにからなにまで責任を持っている。

だから、作者というのは設定資料を作りたがるのだ。

しかし、読者としては(一部の熱狂的なファンを除き)そんなことはどうでもいい。

物語を読みたいのだ。

そして、物語というのは主人公と主人公からみた世界のことであり、それ以外のことは基本的に興味が無い。(例外はあるけど)

「この転生系クソラノベにはヒロインが居ません」だと、物語の基本は二人の高校生が活路を切り開いていくことであり、そこで起こるリアルなことが問題となっている。

作者というのはすべてに責任を持っているので、当然主人公たちにも興味があるが、そこに出てくるモブがどんなことをいうか、ということにも興味がある。

つまり、作者としてはモブのように出てきたじいさんが変な昔話をすると、それだけですごく楽しいである。

しかし、いざ自分が読者側に回るとそれは全然楽しくない。

もしこれが主人公が「え? それって何? 詳しく聞かせて?」という態度を取っていれば別だったかもしれない。

しかし、主人公が興味ない話をじいさんが延々と話す。

それは蛇足にしか過ぎず、その内容が面白かったとしてもまともに読もうとは思わず、飛ばし読みをしてしまう。


読者は「作者が興味を持つように仕向けた物」にしか興味を持たない。

これは結構重要なことだが、自分もうっかり見落としていた。

作者は読者の意識を自由にいじれる大きな裁量を持っているのだ。

この作品でもじいさんの登場シーンを変え、じいさんを意味ありげな人物として登場させていれば、おそらく読者として読んだ自分もこのじいさんに興味を持っただろう。

しかし、「ただの茶屋のじいさん」と出しているし、主人公たちも大した人物だと思っていないので、その人物が話す昔話など取るに足らないように演出されている。

そうすると、読者はその昔話の内容を真面目に読もうとはしないのだ。


ここで作者の本音を語ろう。

作者というのは謙虚なところがあり、すごい物を「すごいだろー」と出すことを恥としている。

すごい物であっても「すごくないよー。たいしたもんじゃないよー。でも、読めばすごいことは分かるよね?」という態度で出している。


ところが自分が読者側になると、内容よりも「作者の態度」で判断するようになる。

作者が「すごいだろー」と出してくればすごいものだとして受け取り、「大した物じゃ無いけど」と出してくればその通りつまらないものだと受け取る。

つまり、読者というのは素直なのだ。


作者は作品に含まれる「すべて」に興味があるが、読者は「作者が興味を持つように誘導した物」にしか興味を持たないのである。


まとめ

作者と違って読者はすごい勢いで物語を読み進んでいるので、主題を変えるのであれば章を変えなければ読者は主題が変わったことにすら気がつかない。

そして、読者は主人公と立場を共有しているので、主人公に関係あることにしか興味が無い。

主人公と関係ないことに興味を持たせるには、作者は興味を持つように誘導する必要があり、その誘導がない情報は読み飛ばされる。


つまり、作者としては主人公に関係ないことはあまり書かないようにして、主人公以外の物を見せたいときはきちんと読者を誘導しないといけない。

まちがっても、「大した物じゃ無いけど」などと言いながら面白い物を出していけない。

それはあまりにもったいない。



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