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十六夜顕現火炎主 其二

十六夜顕現火炎主 其二    作:高星七子

 襖が勢いよく開けられると、嗅ぎ慣れた血と汗の乾いたような匂いがする。やはりこの男だったか、と玖来武ノ介はうんざりした心持ちだった。

「こりゃ驚いた_________先客は黒づくめの無口な野郎だってえから、もしやとは思ったが」

 男は帝天都(ティアマット)と自ら名乗る賛振句の辺阿羅兵である。玖来武ノ介が配されていた部隊の隊長でもあった。
 片膝を立てて酒を飲み、ちらりともこちらを見ぬことに苛立った帝天都は刀の切先を玖来武ノ介の喉元に突きつけた。
やっと帝天都に向けた視線は、暗く凍てついている。

「よう、倭威蛮」

 玖来武ノ介の二つ名とも言えるそれは、隊の長である帝天都が異国の竜の名を仮につけたものだ。帝天都もどこか遠い異国の怪物めいた竜なのだという。
 別段、気に入ってはいなかったが賛振句にあって勒原の名は要らぬ面倒を引き起こす。そうと弁えて随意に呼ばせていたにすぎぬ。

 こちらを向いた、と気をよくしたのか帝天都は刀を納め、玖来武ノ介の正面にどっかりと腰を下ろした。玖来武ノ介に用意された酒肴から徳利を取ると、中の酒を飲み干した。

「ケッ、冷めていやがる」

 帝天都は言いながら玖来武ノ介を見やって辺阿羅の印のある頬から顎、ざっくりとした襟の合わせまでを確かめるように目を走らせた。

「すっかり男くさくなりやがったなぁ……いや、今の方がそそるな、お前」

ザワリと、玖来武ノ介の身の毛がよだった。この男、帝天都は常に術法封じの手錠を持ち手下の者をいつでも捕縛できるのだと示していた。
 朱雀の祝福がある玖来武ノ介の力を甘く見ることはなく、水晶の埋め込まれた術法封じの手錠で両手首を縛った上で
”ことに及んだ”。
これからも命令通りにすれば手錠をしないでおいてやる。
 耳元でそう言った言葉を帝天都が違えることはなかった。そんなことは珍しくもないと、玖来武ノ介は何日もしないうちに悟った。戦場に女人はいない_________女郎を買うことすらできなければどうするか。
 若い兵、しかも人にあらずの辺阿羅となれば極当たり前の
”使いみち”と皆が承知していた。
 国主の子として育った玖来武ノ介には思いもつかないことではあった。だが、それにもいつしか慣れるときがくる。いちいち反抗して多勢にかかってこられては、文字通り身体が持たぬ。それよりも上役に引き立てを受けている帝天都を盾にすることを玖来武ノ介は選んだ。

 母は何を思って我が子を生かしておいたのか。朱雀を宿さず、序朱亜之丈に無理をさせていたことがそれほどまでに許しがたかったのだろうか。思ってドミネになれるのなら弟に代わってやりたい。しかしそうはゆかぬ、人の身ではどうしようもないではないか。
 夫を弑し蕗左里谷を弑し生家を裏切った母。玖来武ノ介が朱雀を宿していれば、すべては起きなかったことなのであろうか。
 
「返事くらいしたらどうなんだ」

帝天都のこちらを見る目も鬱陶しいが、喋る口も相当に鬱陶しい。

「貴様の役目は何だ。俺を捕らえに来たとでもいうのか」

「生憎、玖来武ノ介殿をお迎えにあがったわけじゃあねえ」

とはいえ、と帝天都は袂から水晶の手錠を取り出して見せる。

「今の俺を以前のままと思うのはよしたが良い」

玖来武ノ介の指先から赤く光る火花が散った。

「生意気な野郎だ。俺がいなけりゃ口を開くこともできねえ身分が」

「それに、まともな飯と寝床だったか。俺には貴様との寝床というオマケは要らなかったがな」

「お前だって喜んでいたようだったがな、ああ?」

「そうでもない。是音の若様とは比べものにならぬさ」

 玖来武ノ介の口から出た名は相手の横面を張るものだったようだ。帝天都の顔は赤黒く血が昇り憤怒の形相である。
以前からなぜか帝天都はこの賛振句の若君・是音のこととなると口を極めて罵っていた。光のドミネである若君と辺阿羅兵ではどんな関わりもないはずだが、あまりの違いに絶望するしかない者の無駄な足掻きなのだろう。
玖来武ノ介にはこの様子が可笑しくてならない。
 艶然と口の端を上げる玖来武ノ介めがけ、帝天都が掴みかかろうと腰をあげたそのとき、鳥馬屋の主人が駆け込んできた。

「あんたたち、大変だ。駝路目鬼兵が……!」

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