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文章なんて苦手だ⑤

絵を描くときに最初に何をするか?
展示が決まったらどうするか?
そのことについて書いてみようと思う。

脳内地図から文章、展示、作品のテーマ、制作へ、大作を描く。
大作を描く前に、巡った思考について。

山本芳翠の「浦島図」について、自分の作品に引用することにした。

その前に強烈に影響を受けた本がある。
赤瀬川原平著作 「赤瀬川原平の日本美術観察隊」だった。
〈其の2〉に「浦島図」についても記述があり、「変な絵」と言われている。
そして、この「浦島図」もオマージュ、ないし下敷きにした作品がある…との事だった。
どうも「アンフィトリテの勝利」を下敷きにした構成…らしい。
ローマ神話を様式で描いた絵画をどうして「浦島太郎」にしたのか?
主題を日本に置き換えて描きたかったのか?
詳細や当時の状況が把握しきれずに考えると、この浦島太郎の凱旋みたいな絵は「ただただ変!」だと思ってしまった。

私は私で、引用のある作品(浦島図)をさらに引用して描く…
引用の入れ子になってるな…
と思いつつ、この関連性や共通性を私が感じたところで、なんの証明にもならないけど。

私は私で個人的な事情と結びついて離れなくなってしまったので「証明できないから描く」「証明できなくても描く」方にしたわけだけど。

ここ数年の仕事に小田急線 片瀬江ノ島、新駅舎の仕事がある。なんでかわからないけど昔からあの駅は竜宮城なのである。
ちなみに竜宮城は江の島には存在しない、伝承伝説もない、と思う。観光のためのイメージとして作られた…と思う。
根拠はないけど愛されてる駅、片瀬江ノ島駅。その新駅舎は以前のイメージを引き継いでさらにパワーアップに「新竜宮城駅舎」になって再誕した。
この仕事に関われたのは貴重すぎる体験だった。
そうなんだけど…
お陰で龍宮について考えると「竜宮城」ー「江の島」ー「弁財天」なってしまうようになった。
どうしても江の島風味が足されてしまうことになる。

山本芳翠の浦島図と個人的江の島感が関連性を持った訳である。

そうしてイメージとイメージが接続されて、
(その他の要素ももちろんあるけど)出来上がっていったのが
「龍宮-彼方此方 寄波 引波」だった。

「龍宮-彼方此方 寄波 引波」
192×390㎝
木製パネル、綿布、アクリルガッシュ、岩絵具、アルミ箔
2020年

文章なんて苦手だ。
文章でなんて残す事ではないことかもしれない。
制作のあれこれなんて。

あ、制作過程の「作画」については割愛。
だって描いて、塗って、描くのみでタネも仕掛けもないから。

⑥で最後

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