この“手の絵”について。
奈波純です。noteで最初の記事を書きます。絵を描いていく上で、自分の作品についてきちんと文章で説明できるようにする為に始めました。上手くいくかは分かりませんが、今回は私がつい先程、X/Twitterに投稿した、「ノイローゼ気味で描いた これはもう二度と会えない人の手」について説明します。
どんな状況で描いていたか。
3月に入って以来、受験の挫折や人間関係のトラブルが重なり、酒浸りの日々が続いていた中で、ドラッグストアで買った市販薬を水の代わりにストロング系の缶チューハイで流すというドーピングのような行為をしてから、自室に籠り(昼の15時から翌朝5時にかけての)12時間以上、ぶっ続けでこのF10号のキャンバスと向き合い、筆を動かしていました。ポスト/ツイートの文章に“ノイローゼ”という単語を用いたのはこのためです。
絵の内容について。
(以下、私がスマホのメモアプリにまとめた文章をそのままペーストしたものです。)
「この手は所詮、iPhoneのカメラで撮ったものに過ぎない。それがいくら自分にとって重要で大事な人だったとしても、(どんなにその姿を収めようと何十枚もの写真を撮ったとしても)、その人と最後に会った日から長い時間が経てば経つほどその手の温度、感触、大きさといった情報/記憶はどうしても薄れていく。そして最後に残るのは、『写真』アプリの中に埋もれた数枚の画像だけ。
背景を白に統一し、あたかもデジタルでコラージュしたかのように“手”の部分だけを切り取ったり、あるいは手が写った画像そのものを縦や横に引き伸ばしっぱなしにしたのは、手の持ち主本人と会えなくなった今、この手が単なる画像あるいは表象でしかないという事を強調するため。」
おわりに
noteの記事にしては、とても短い内容になってしまいましたが、ひとまずこの絵についての説明はこれで以上です。
これからも(少なくとも作家志望ではある以上)、絵を描くことだけでなく文章を書くことにも慣れるため、少しずつではありますが、更新を続けられたら良いなと思っております。
最後まで読んでくださった方は、ありがとうございます。
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