露草忌

私は父親の愛し方を知らない。
その事実は日常の背後に薄い靄を被せるように存在していて、それに気がつく度に心に陰りが生まれる。

幼い私の誕生日に、彼は手作りのクマのぬいぐるみを作ってくれた。
リバティ模様のそのクマを私はたいそう可愛がっていた。やがて訪れた思春期の真夜中、父と母が口論をしているのを壁越しに感じた時、跳ね上がりそうになる心臓の上にそのクマを載せて眠りに落ちた。
翌日、母は口論の理由を「あなたももう15だし、話すわ」と言って話しはじめた。
彼女が語り始めたのは私が生まれる前の出来事、私の異母兄弟についてだった。父親は母親に黙って、自分の生命保険の受取人に向こうの名前を書いていた。
ゴミの日の朝、彼はビニル袋の中のリバティ柄の残骸を目にとめ、一瞬動きを止めた後にその袋を持って家を出た。

小学生の頃に編んでと願ったマフラーが出来上がったのは、私が中学生の頃だった。
母が別居を提案した数週間後に、部屋のドアノブにかかっていたそのマフラーを、私が巻くことはなかった。白と黒のモヘアで編まれたマフラーは、断ち切りばさみの刃のあいだで白魚のように逃げていく。
かつて愛された記憶は、北極星のように私を導く。しかし、その星の光が届く頃にはもう星は存在していないかもしれないのだ。
涙を拭うと、微かに父の書斎の黴くさい匂いがした。

「もう一切のプレゼントを買わないでくれ」
こう頼んだのは20歳の誕生日が過ぎたころだった。
その日大学から帰宅すると、母が受け取ったであろう私宛の小包が居間の机の上に置かれていた。開けると、琥珀の首飾りが出てきた。東日本大震災で甚大な被害を受けたというその土地に、彼がどうして立ち寄ったのかは定かではない。おおよそ仕事の取材であろう。
小さな死を閉じ込めた茶色い樹液は、20歳を迎えた娘の肌には似合わない。私の首には、恋人に授けられたばかりの華奢な銀鎖が光っている。
琥珀の中に閉じ込められた虫はおぞましい。それを見た瞬間に、私の中の憤りは沸点に達した。

人は理解し合うことが出来ない。
人は相手が求めるように愛することが出来ない。
私は彼が退官する日の祝賀会に無理矢理出席させられ、悔しさでほぞを噛んだ。父親の旧友は私に目を止め近づいて来るが、その度にその場にいない母親の影に一瞬目を揺らした。

やがて来たる彼の葬式を、私はどのように執り行うのだろうか。
死でもって全てを無に還すような方法でしか、私の中の憤りは昇華しないのだろうか。

「愛さなくても良い」
その父親の言葉にどれほど救われただろう。
切りたくても切れない縁を持ってしまったのはきっと向こうも同じなのだ。

#小説
#日記
#短編
#父の日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?