ほかに生き方を知らない

憧れの人の背中に追いつきたいと思ったこと、ない。
憧れの人の脅威になりたいと、いっつも思っている。
不遜この上ない。
思い上がり甚だしい。
でもしょうがない。
ほかに生き方を知らない。

そんな生き方を20年以上もしていると、いつしか憧れの人と一緒に仕事をする機会が増えてきて、そんなときに私はかつての自分に向かって
「良いだろう、過去の私よ羨ましいか」と自慢したくなる。
我ながら素晴らしい性格だと思う。

いつか先生に
「先生より上手くなりたいです」
と言ったことがある。
20歳過ぎてすぐの酒の席でのことだった。今でも思い出すと顔に血がのぼる。私は酔うと気が大きくなり、朗らかになるから、それを前々から母親に諌められていたのだけれど。

生意気な小娘に先生は笑いながら
「どうぞどうぞ」と言った。
先生はお酒が強い。
その日、確か私と先生で一升瓶を飲み干して、後ビールも何杯か飲んだような気がする。
桜の蕾がほころび始める、春先のことだった。

久しぶりに先生と飲んだのは、このあいだの旅仕事の夜だった。
雪の踏み固められた路地に、さくさくという私たちの靴音がこだまする。灯りの消えた繁華街、月明かりが雪に反射して青白かった。
次の店に向かうあいだに、先生は私の仕事の近況を尋ねてきた。私は専門用語を噛み砕きながら先生に今行なっているプロジェクトについて説明をした。

その時に急に私は気がついた、
私の歩いている道は、先生の真後ろでないことに。
私の見ている景色は、先生の見ている景色と同じかもしれないけれど、もしかしたらその視点はかなり異なるのかもしれない。
先生は私の研究テーマを興味深そうに聞いていた。
そして、
「面白そうだね、羨ましいな」
と言った。
先生の吐く息は、宇宙に向かって立ち昇る。

「僕の高校の同級生に、君のやってることと関連しそうなことをやっている友人がいるんだ。よかったら紹介するよ」
とても優秀な友人で、きっと君と一緒に何か始めたら面白いことが生まれると思う、という言葉を添えられた。

先生の背中を追いかけて、その先へ飛び出したいと挑戦し続けて、
それでもやはり先生は私に取って永遠に先生なのだ。
突拍子もない進路を選んだり、いきなり大舞台に挑戦したり、破天荒なことをやっても、先生は私に対してのスタンスが変わらなかった。
太陽が曇りの日も晴れの日も変わらずに地上へ光を注ぎ続けるように、彼自身の人間性と、真理を追求する姿勢を示してくれた。
分厚い雲を抜けたら、そこはそれまでの世界と違う世界だった。
なんて遠くまで来たのだろう。
先生の背中はまだ、遠くにあるけれど、めげずに追いかけようと思う。
他に生き方を知らないもの。

#日記
#エッセイ

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