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“悪気がない”で研がれた刃に、わたしはいつまで傷つけられるのだろう

一昨日、夫が出張だったので祖母の家で夕食を食べ、すぐ近くの実家に泊まった。
翌日は2時間ほど母に娘を預け、図書館でひとり時間をもらい、近所の美味しいパン屋さんで昼食、我が家に移動して一緒に餃子を包み、夫も帰ってきて軽い飲み会に。途中妹と姪っ子からテレビ電話が来て30分ほど話して涙が出るほど笑った。
我ながら仲良しでいい家族だと思う。

ところが、いや、だからこそ、と言うべきなのかな。
わたしを1番傷つけるのもまた家族で、というより母と祖母なのである。

一昨日の夕食の席では
「ね、子どもは可愛いでしょう。自分の子どもが欲しくなったでしょう?」
と祖母が言う。
その日はわたし、娘、母、祖母の他に一つ年下の従兄弟がいた。
独身の従兄弟に、結婚して子どもを作れという圧力。
楽しい食事だったのに、一気に冷めてしまった。
と言っても、冷めたのはわたしと従兄弟だけで、母は賛同してケラケラ笑い、祖母もさも楽しい家族の会話として当たり前に発言しているだけと言う感じ。
そう、わたしの母とその母である祖母、亡くなった祖父、従兄弟の父である母の弟は“悪気はない”で塗り固めた偏見を振りかざし、時に悪魔になる。
大好きな家族だけれど、わたしが1番理解されない人間として母をあげるのはそういう訳なのです。

東京都で2人目の保育料が無償になる話が出れば「幼稚園を考えてるわたしには関係ないしなあ」というわたしにものすごいスピードで「関係ない!?2人目を考えていないってこと!?ひとりっ子なんてダメに決まってる」と笑いながら言う。

良い人いないの?から始まり、彼氏ができれば「結婚は?」、結婚すれば「子どもは?」、出産すれば「2人目は?」…次はなんなんだろ、怖い

結婚して子どもがいることだけが幸せ、兄弟がいないことは可哀想、その他障害、体型、生き方、考え方……とにかく何から何まで自分たちの考え以外のものは全部嫌なのだろう。
自分だけでなく、従兄弟や他の家族、友達、街ゆく人に至るまで偏見は続き、その度に落ち込む。

「そういう言い方は良くないよ」
といくら言っても悪気はないで片付けられてしまう。

わたしは、わたしたちは。
いつまでこの暴力を受け続けるんだろう

娘を守りたい

そんなわけで、小さな頃から身近なひとたちにこういった圧力をかけ続けられてきたわたしは、自分が娘に同じことをしないようにと注意して生活している。

「女の子だから」という言葉は避け、車や電車の絵本やおもちゃも他のものと同じように興味を持つように気をつけていて、実際に最近車と電車がブームの娘。
散歩で車を見つけるたびにくるま!!!バス!!(都内住みのため物凄い回数になる笑)、昨日は電車を小1時間見て遊んだ。
正直「車のお洋服着たいとか言われたらどうしよ…」と思ったりはするけれど、そこは電車だから嫌なのでなくてキャラものとか大きな柄やプリントのもの自体が趣味じゃないので、そこを伝えていこうかなあ
そのへんのセンスってどうやって育てるんでしょうか?笑

他にも赤ちゃんだからできないとか、小さいから、太ってるから(笑)とか「〜だから」というようなことや、そもそもマイナスな言葉かけはしないように。
一見謙虚に見える大人同士のうちの子は〜だからみたいなことも言わないように気をつけています。

これから先こういう機会ってもっと増えていくと思うけど、例えば恋人ができるような年齢になったとして、その対象が当たり前に異性であるような言い方をしないようにとか、進路についてこうじゃなきゃだめ!みたいなとにかく極端な言い方は避けるようにとか…言ってしまったらどうしようと今からドキドキしてしまうけれど、とにかくとにかく気をつけよう。
1番良い方法は、そういったことは意見を求められた時や助けを求められた時にだけ話す。
それ以外の時はとにかく「今、ここ」にいるわたしと娘1対1の時間を大切にして、身体を動かして遊んだり、おしゃべりするなら好きなことの話や前向きな話、例えば読んだ本のこととか、お花が綺麗だねえ、これが美味しいねぇなんて他愛もないことをいつまでも、大人になっても、おばあちゃんになっても話して笑い合える親子になりたいなあと思う。

あ、なんか話が逸れちゃったけれど
祖母、母と受け継がれてしまったこの偏見を
わたしの代で絶対に手放すぞ〜と意気込んでおります。

大切な人のなんでも話せる相手になれたら

そう、一昨日、地元に移住?Uターン?した友人に1年ぶりに会った時「ママにはならないことにしました」(言い方は違ったけれど、彼女が読んでいた本のタイトルを借りて)と教えてくれました。
わたしもDINKsを選択肢として考えていたこともあったので、素敵だねえ!いいねえ!なんでも出来るねえ、海外移住とかどう!?なんて自分がやってみたいことを押し付けようとしたり(笑)しながらも、お話を聞かせてもらった。

その日お布団に入って、ひとりになったとき、
きっと誰かに話すのは勇気のいることだろうな
その話してもらえる相手の1人になれて嬉しいなあ
と思ってちょっと泣いた。

わたしは少しずつ友人に理解者を増やすことで、最近になってやっとわかって欲しい相手から母を外すことができたところ。
身近な家族を諦めることってすごく難しくて大変だったから、友人はどうしたのだろうと気になるけれど、話してもらえるときまで待ってみよう。
誰かと話している時、自分のことばかり話すと後から罪悪感を覚えるタイプだったのだけど、あれこれと質問や詮索をされるより話を聞く方が楽しいと思ってくれる人が多いこと、自分もそうだってことに気が付いてから後悔することが少なくなってきた!

特別な人になるってやっぱり嬉しいな。
家族(特に娘)や、大切な少ない友人たちの他の人には話せないことも聞いてもらいたいと思える相手になりたいな。なろう。

とにかく極端な考えの人間にならないように。
自分が1番嫌いな、悪気のない偏見でひとを傷つけないように。
日々言動や文章、行動に気をつけて生きていく。


最後まで読んでくれてありがとう!
娘が起きたら、元気に散歩へ行こうと思います。
ではまた!

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