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⚪︎|小満 きみの心のなかの椅子をつくりたい

いよいよ、来週から子どもと絵本ボランティア講座へ行く。初日に好きな絵本を持っていき、自己紹介をするので、一人当たりどのくらいの話をするのかわからないけれど、ここで気持ちの整理をしておきたい。 

わたしは小さな頃から本が好きだった。田舎は娯楽が少ないので、遊び相手と言えば家族か、友達か、自然か。東京で子育てしてみて気づいたけれど、児童館や支援センターはもちろん、ブランコや滑り台のあるような公園もほとんどなかった。幸い父が家にいて遊んでくれる人だったし、町では珍しい集合住宅に住んでいたので比較的困ることは少なかったけど、それでも雨の日や夜は時間を持て余すことがあった。
そんな子どもたち以上に、東京から出てきたシティガールで今はフラダンスにゴスペル、バレーボールなどと趣味に忙しい母は、近頃は全く読まなくなったようだけど、当時は毎週のように町の図書館へ連れて行ってくれた。
東京のように広くていくらでも本があるのとは違って、町の図書館はミニマムだったが、それが良かった。わたしは児童書、特に新刊図書を片っ端から読み、読むものがなくなって大人の書棚へ行ってみたり(島本理生や江國香織を読んだ。母が好きだったからだけど、わかるわけがなかった。)、科学の本を読んでみたり、逆に絵本を読んでみたり。そう言えば伝記もたくさん読んだな〜どれも楽しかったけど、1番は「外国文学」というジャンルで、結局のところファンタジーが大好きだった。現実に戻ったときの、ふわふわと高揚した感覚が最高に気持ちいい。
大人になってからは読むジャンルや好きな作家が増えて遠のいたけれど、今でもたまにティーンズコーナーに行って何冊か借りてくる。そんなときはもう、「いつか娘と読みたい!」と新しい気持ちがうずうず。
そう、わたしの夢のひとつに「娘とペア読書をする」がある。

とは言っても、娘が読書好きになってくれるかはわからない。ここは東京、遊ぶ場所も友達もたくさんいる。時代が進んで、ゲームやスマホもある。それに、押し付けるのはいちばん嫌だ。わたしは本が好きと言うとたいていの大人が言う「えらいね」がすごく嫌だった。それは「本を読んだほうがいい」と言われたからやったのではなくて自分が好きだから読んでいるということが伝わらなくてもどかしかったからだ。わたしが「本は面白いよ」「読書は役に立つよ」なんて言い続けたらいけない。じゃあどうする?うーん、、、ひとまず今は読み聞かせを楽しんでやってみよう。そう思って続けていたら、先日絵本とは全然関係のないところでこんな話に出会った。

子ども時代に信じていたファンタジーの生き物が、心の中に「椅子を作る」。サンタクロース、龍、ウルトラマン…と、座る生き物の数が多ければ多いほどたくさんの椅子ができ、いざ「実在しない」とわかっても心の中に椅子だけは残り、将来その大事な椅子に大切な人を座らせることができるのだ。

自分に還る50代の暮らしと仕事 からとったメモより

自分に還る 50代の暮らしと仕事という素敵な女性たちのインタビュー集のなかで、自分の人生に大きな変化?きっかけ?をもたらした話として書かれていた。児童文学者(探したけれど見つからなかった、悔しい)の方の講義内容らしいのだけど、素敵すぎない?ずっと、子供のころの読書体験をうまく言葉にできなかったわたしにとってはちょっと美しすぎる表現だけれど、「椅子」かあ…。それはつまり、心のよりどころみたいなことだろうか。余白、かな。うーん、余計な解釈はしないほうがいい気がする。笑 とにかく、この又聞きの状態がもどかしくて、この元の先生の本なり講義なりをわたしも是非聞いてみたい。いつかきっと、すっかり忘れた頃に出会えるかもしれない。児童文学のこと、もっともっと知りたくなってしまった。

どうしよう、うまくまとまらなくなってしまったけれど。久しぶりに熱中して学びたいと思えることができた。まずは今回の講座を一回一回丁寧に受ける。全部吸収するつもりで。学生時代にはこれができなくて、とにかく色んなことをやりすぎて混乱するタイプだったけど、同じ参考書を完璧になるまでとことんやり続けるタイプの夫と暮らしてきて、どっちが残るかはよくわかっている。とことん、きっちり。そして、そこから疑問に思ったこと、興味を持ったことを後回しにせず、遠慮せず学ぶ。これは娘(というか子ども)から教わった。素直にコツコツ。やるぞう。

それは娘の心の中の椅子を作る手助けをするため。そしていつかは、もっと大勢の子どもたちの力になれたら嬉しい。「子どもと絵本ボランティア講座」半年間、頑張るぞ。

p.s. ノートを買うか悩む。学生時代に何冊も無駄にしたので、今持っているノートの続きでいいような、使いきれていないメモ帳でいいような…。

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