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可哀想の物差しはみんな違う


フリーランスのライターとして働いていると、時々「大丈夫ですか?食べていけますか?」「原稿料って、すごい安いんでしょ?」といったことを言われることがある。その都度私は「大丈夫ですよ、生活できていますよ。」や「はい、副業から始めたので充分に報酬が貰えるようになってからフリーランスになりました。」といったことを言う。


おそらくそういうことを言う相手側に悪気はなく、本当に心配して言ってくれている人もいるのだと思う。けれどそういった言葉を言われて、ありがたいと感じたことはない。


ライターを始める前、私はひたすら休日に小説を書く生活をしていた。1年間に10本公募の賞に送っていた時期もある。けれど残念ながら私は小説家になれなかった。そして一時的に私は小説はおろか文章を書くことを止めた。他のことをして働いていく道を探した方がいいと、その時は思ったからだ。


けれど気付けば私はクラウドソーシングでライターの副業をはじめ、徐々に単価は上がり依頼も増えていき、クラウドソーシング以外の場所でもライターとして働けるようになった。ひたすら小説を書いて応募して落選していた頃から考えると、信じられないことだと思う。


おそらく私は充分な報酬を貰えなかったとしても、他の仕事を探して文章を書きつづけると思う。なぜなら私にとって大切なものは報酬の金額ではなく、「文章を書く場を与えてもらうこと」だからだ。


Webライターの人は生活が大変、と思っている人と話すと、なんとなく私は居心地が悪くなる。それでも書きつづけたいと願っている、不合理な自分の気持ちの居場所が追われているように感じるのだ。


これからも私は自分の書ける場所を保持するために書きつづけるし、技術を磨く。優先順位としてやっぱり報酬は二の次になってしまい、ただ書きつづける場所を持ちつづけられればそれでいいと、思っている。


書いて発表して他者に見てもらえる場がある。このことだけで心が満たされる人も世の中にはいるので、種類の違う物差しで測らないでもらえると嬉しいな、と思っている。

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