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自分の言葉で誰かの人生を変える覚悟


私は人に相談を持ちかけられた時、極力「こうした方がいい」というような、相手が今後進む方向に対するアドバイスをしないようにしている。


そもそも相談の多くはアドバイスが欲しいわけではなく、ただ話を聞いてほしいだけだと思っているし、自分にとっての最適解と相手にとっての最適解は、当たり前だが違う。失恋をした時、すぐに新しい人を探すのが回復に繋がる人もいれば、しばらく一人で過ごすことで回復する人もいる。


そして、私が誰かにアドバイスをすることを躊躇ってしまう一番の理由は、その人の、その後の人生に責任を取れないことが大きい。自分で責任が取れないものに対して、他人である私の最適解を渡すのは、私にとっても相手にとっても良いことではない。


下記のニュースを見た時、私は自分の周りにいる、起業を勧める大人達のことを思い出した。


起業すること自体を否定しているわけではない。ただ、起業=仕事として考えた時、長期的に続けることができるかどうかは、その人がどれだけその対象のことが好きか、またビジョンを持っているかなど、起業をするその人自身の在り方による所が大きく、他人からのアドバイスでどうこう変わるものではないように、思う。そもそも起業したい人はするし、する気のない人はしない。


なぜ、起業を促す言葉をあまり肯定できないかというと、人は、経験や訓練がなければ、周りの言葉に振り回されてしまう生き物だからだ。そして振り回された後に自己責任という言葉が返ってきた時、自分で思考する必要があったことを、初めて知る。言葉は発した本人が想像している以上に、聞いた人間に響く。


起業を促すすべての言葉が、本当に相手の未来を思いやった上での言葉なのか。おそらくその部分に私は疑いがあり、肯定できないのだ。


起業で失敗することもその人の貴重な経験の一つだから、無益ではない。けれど、起業を促すのであれば、相手が納得できるまで、なぜ起業することがその人にとっていいのか、つまり起業を促す言葉の裏付けとなる説明を、して欲しいと思う。


起業した後に精神のバランスが崩れ、生活の安定が失われる人もいる。本人が望んでいたのであれば、仕方ないとしかいいようがない。けれど、本当に必要なのは起業によって失われたものを、ケアしてサポートする力ではないのだろうか。スタート時の応援ではなく、走っている最中の応援、そして倒れてしまった時の救護の方が、よっぽど重要で、継続的で大きな力が必要になる。


光の当たらない人たちの救護は放棄して、簡単な言葉で応援だけする人には、気を付けてほしい。



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