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「頭に誰かがチラつく」ほどに見たり聞いたりするということ

こないだ参加した短歌のワークショップで先生が「短歌を応募してくる人には歌集を読んでない人もたくさんいる。読まないと。どんな短歌が良いか、好きな歌人とかもわからない。」的なことを言っていた。

どのくらい読んでいれば良いのだろう。必要なインプット量の基準。考えてみると「頭に誰かがチラつく」というのが一個の基準になるのではと思った。
自分がまあまあ自信のあるエピソードトークをする時、頭の中には千原ジュニアや小籔がチラついているし、文章を書くときはさくらももこや川上未映子や千葉雅也が、ギターで言えばフルシアンテが、ドラムでいえばチャドスミスがいる。
色んな作品を見聞きして、好きなアーティストを解釈していくと、それが自分の個性につながる。それに誰々っぽいという自覚があると、表現が保証されてる感もあって自信を持って表現できる(実際のクオリティは別としても)。逆にいうと、インプットが足りていないと無個性的だったり表現に迷いが見られたりする。短歌の先生はそういうことを指摘してるのではと思った。

表現におけるインプットの基準として、「頭の中で誰かがチラつく」ほど読むというのは結構良い基準かもしれない。
そう思うと、今自分は短歌を作る時に誰かがチラついてこない。好きな歌人がいないわけではないけど、チラつくほどではない。歌詞もそうだ。歌詞を書くときに、チラつく誰かがいない。好きな歌詞はあるにはあるけど、語れるほど歌詞について考えたことはないし、好きな歌詞もフレーズ単位だったりする。好きなフレーズがたくさん入ってる曲を好きな歌詞と思ってる節がある。
つまり、短歌も歌詞もインプットの深さが足りていないような気がする。あああ、短歌も歌詞もフレーズ単位の好き、だ。曲や歌集を通して好きな歌詞や短歌はないかも。その視点で読んでいくと何か発見があるかもしれない。

まあ、そんなことを思って、インプットの比率を上げてみようと思う最近。短歌については歌集があるので、今は歌集を数冊買って読んでいる。歌詞についてはどうしていくのが良いかな。曲きくと音楽として聞いちゃうからなあ。歌詞関連の本とか買ってみようかな。
あと、毎月ライブに行ってみることにした。2月にチリビ、3月にiriを見て、4月はchelmicoとcody leeの対バンを見た。たまたま毎月行っていたのでこれを続けてみようと思う。5月はフェス(ビバラ)のチケットを買った。6月はフレシノか関ジャムのフェス、7月はユニゾンのライブに行きたい。

あれこれ書いたけど、結局はインプットを上手くやることで自分が創作しやすくなるんじゃないかと思っている。

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