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毒舌 「すっぽん三太夫」シリーズ 「ベンツ駆って“七人のお坊さん”参上 顛末記」

「七人の侍」といえば、かの黒澤明監督の代表作のひとつとして知られる。農民を助けようと立ち上がった侍たちが、弱きを助け、強きをくじくために見かえりを求めずに向かっていく。それこそ武士道の鏡のような話だ。

 それから七十年以上を経て、こちらはある農村でのお話である。現われるのは侍ではなく、「七人のお坊さん」である。

 場所は群馬県西部のとある農家であった。その地方ではいまだ自宅での葬儀が一般的である。老婆が九十一歳にして大往生を遂げ、菩提寺からは住職がやってきて読経の運びとなった。

「いやあ、最初は次々に入ってきて、そんな数のお坊さんを見るのは初めてだったから、ありがたいのなんのと思ってたんだけど…」(家人)

 菩提寺のご住職の後ろには、なんと六人ものお坊さんが列をなし、その光景は列席者を仰天させた。

「こりゃ、亡くなった婆さんはどれだけ徳が高かったのか」と居並ぶ者たちが感心したのもつかの間。なにやら帰りがけにお坊さんと家人との間で押し問答が始まった。

「ご住職、さすがに七人分も出せませんよ」

「いや、それは困る。そんなことでは、亡くなった者が浮かばれない」

「浮かばれないなんて言い方はやめてくださいよ。そもそも、ご住職以外のかたをお呼びしてはいないんですから。どこのご住職かも分からない人たちを連れてきて面倒を見ろなんて、いくらなんでもひどいじゃないですか」

 そんな押し問答の脇では、袈裟をかけたお坊さんたちが、ワックスで照り光るベンツやアウディのクーペを並べ、手持ちぶさたにしていたという。皆、帰るに帰れないのだ。もらうものをもらっていないからである。

「勘弁してくださいよご住職」

「いや、気持ちだけでも包んであげて欲しい」

 そんな押し問答の最中に、さらに事件が勃発した。あろうことか、故人の戒名に誤字が見つかったのである。

「こりゃねえだろうよご住職、やり直してくれよ」

 さすがに檀家とはいえ、家人は声をあげて詰め寄った。

 だが、お坊さんは悪びれなかった。

「気づいたんなら、そりゃそっちで削っておいてくれ」

 余計な「線」が多かったわけだ。

 葬儀での衆人環視のもと、折れたのは檀家のほうだった。JAバンクのATMへと急遽走り、住職に100万、残る六人のお坊さんにそれぞれ二十万ずつ「お気持ち」を渡し、しめて二百二十万の支出となった。

 しぶしぶながら、お坊さん七人分の「お気持ち」を渡すと、「ご住職」のベンツを先頭に、見事なまでの車列を組み、田んぼの畦を疾走していったという。

 その光景たるや、映画「ゴッドファーザー」さながらの荘厳さであったと、居合わせた友人は語ってみせた。

 葬儀の場でそれ以上揉めてもと、その場は矛を収めた家人らであったが、その晩のことであった。

 さすがに、母親の戒名に誤字がある位牌では腹が納まらなかったのだろう。その主人は息子に相談したのであった。

「おいっ、セガレよ。おまえ、やたらと口の達者な友達がいただろう。前に何度かうちに遊びにきたこともあった。あの人に電話がつながらないかな」

 そこで、すっぽん三太夫の登場とあいなった。

 葬儀から十日ほど経ち、すっぽんは高速と国道を乗り継ぎ、まずは事情を聞きに事件現場の農家に、次いで寺へと現われた。

「そういう、檀家の個人的なことは申し上げるわけにはいかないのです」

 慇懃な住職は、まるで小役人さながらの口吻ではねつける。故人の名誉回復を背負ったこちらも一歩も引けない。

「ならばね、ご住職、あなたが勝手に連れてきた六人のお坊さんね、あちらのご主人が頼んだわけでもないのに突然現れて、勝手に読経して謝礼を要求しましたよね。あれ、刑法上の強要恐喝に当たる可能性があるから、所轄署に相談してもいいね?」

 絶句した瞬間を隙とみたこちらは、さらにたたみかけた。

「民法上は、読経は供養に付随するサービスだと解釈することもできますからね。ならば、こちらが頼んでもいないサービスを行なって、金銭を要求するのは押し売りですね。昨今の消費者保護の流れにも抵触しうるので、まずは前橋地裁あたりの判断を仰ぎましょうかね」

 世俗の実定法とは無縁の仏法にのみ生きてきた住職はさすがに沈黙するだけであった。

「さらにね、ご住職、あなた、そんなに払えないとしぶるご主人に対して、それでは故人が浮かばれないとか、供養にならないとか口走られましたよね。それね、世間ではこう呼ぶんですよ。霊感商法って。これはれっきとした犯罪だ」

 ついにうなだれた住職に、すっぽんは、こう宣告した。

「あちらさんも、あの時のお金を返せとは言ってませんよ。ただ、誤字のある位牌ね、あれだけは必ず、やり直してくださいよ。それこそ故人が浮かばれないから」

 かくして引き取られた位牌は、「直しました」とされて、戻ってきた。そこには、上から線を削った痕がありありと残っていたという。

 家人はそれを見てさらに嘆いたが、今回はもうこれ以上は、ということになった。

 聞けば昨今、檀家減少と法事減少の両板挟みに陥った住職らが、供養の現場と聞くや、同業者に声をかけて大挙して訪れるケースが増加しているという。

 いつだったか、ネット通販のアマゾンが「明朗会計なお坊さん派遣」を打ち出して、仏教界と揉めたのは記憶に新しい。だが、「七人のお坊さん」がこんな押しかけを繰り返すようでは、自縄自縛もいいところである。

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