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どれくらい話せるとペラペラと呼べるのか

「フランス語ペラペラですね!」と言われることがよくある。その度になんと答えるのが正しいのだろうか、と迷う。

はたして私のフランス語力は”ペラペラ”なのだろうか。そもそも、どれくらい話せると”ペラペラ”の称号に値すると言えるのか。これは難しい問題だ。

フランスに住んでいたときは日常の99%がフランス語での会話だった。
仕事でも家でも友人ともほとんどがフランス語だ。フランス語で働き、フランス語で結婚し、フランス語で確定申告もできた。生活をするのに困ることはないし、フランス人だけのフランス語での会話にも入ることができる。

いまでも家での会話は100%フランス語で、外へ出ると同時通訳もどきに変身するお陰でフランス語と日本語を行き来する能力は、帰国してからの方が伸びていると思う。


でもフランス映画を見るときはフランス語字幕がある方が助かるし、フランス語のラジオが鳴っていても意識をそちらへ向けなければ、耳を閉じることができる。無意識のうちに勝手に耳に飛び込んでくる母国語との大きな差を感じる。

日常会話には困らないけれど、政治の込み入った議論になると知らない単語は多い。普段使わない語彙はなかなか身に付かない。日本でお寿司屋さんに行くと、魚や貝の名前のほとんどを訳してあげることができない。病名に至っては日本語でもよくわからず、通訳するのは困難だ。込み入った語彙になると途端に”ペラペラ”のメッキは剥がれてしまう。


これから留学をしようとしている人から「どれくらいでフランス語ができるようになりましたか?」と聞かれることもあって、これも非常に困る質問だ。
ペラペラと同じく、外国語が"できるようになった"と自信を持って言えるレベルがわからない。身についたなんて恐れ多くも言える日が来るのか、わからない。


7年フランスに住んでいたというと「だからペラペラなんですね!」と言われることもあるが、語学修練は時間の長さよりも密度や環境に左右されると思う。何十年もフランスに住んでいるけれど、全く話せない人もいる。フランス語を使う必要がなければ上達しないものだ。しかし必死になって学び数ヶ月でグンッと伸びる人もいる。とはいえ仕事や生活や趣味や人間関係のために必要な語学レベルは人それぞれ。だから「できる」のレベルもそれぞれだろう。


語学について「できる」を定義するのは難しい。だから「"できるようになる"のにどれだけ時間がかかるか」を測るのも難しい。
言語習得の道にゴールはなく、上達を目指せば一生、終わりなき鍛錬の道だ。



パリの友人たちの中には、フランス人ですらフランス人だと疑わないほどに流暢にフランス語を操る異国の友人がいた。私も初めて会ったときは彼女のことをフランス人だと思ったものだ。

ただ発音が良いとかスラスラ話すというだけではない。政治も経済も芸術も幅広く議論する。社会情勢にも明るい。私の知らない病気の名前も知っている。ブックリーディングクラブに入り、フランス語で本を読み、フランス人達と文学論を闘わせたりもする。
彼女からは外国語で外国で生活しているというハンデを全く感じなかった。

決して彼女の母国語がフランス語に近いわけではない。それなのにここまでのレベルに至れるのか!と衝撃だった。だから私のレベルで「ペラペラですね」と言われると、グッと一瞬、返事に詰まってしまうのだ。

上には上がいる。彼女の顔が浮かぶ。


自分よりも圧倒的にフランス語を流暢に操るフランス語非ネイティブの友人を持てたことは幸いだった。お陰で天狗にならずに済んだ。そうでなければ自分のレベルに思い上がってしまっていた。思い上がってしまえば、成長はそこで止まってしまう。

彼女は遥か彼方でキラリと光る目印だ。遠くの景色を明るく照らしてくれている。遠くの景色を見せてくれる人がいなければ、そんな景色があるとも知らず、目指そうとも思わなかっただろう。お陰で私も、いつかはあそこまで行けるかもしれない、と夢を見ることができる。

ペラペラへの道は果てしなく続くのだ。



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