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壊れゆくのは誰か? 『こわれゆく女』

ジーナ・ローランズの怪演に引き込まれ、精神の揺らぎに、正常と異常の境界を問われる作品でした。ジョン・カサヴェテス監督の代表作に相応しい、見応えのある一本です。



急な工事のせいで家に帰れなくなると妻に電話をかける夫のシーンで、映画は幕を開けます。
ここだけみると妻と家族想いの男気ある良い男に見えるニック。

一方で、子供を母親に預けるだけなのに、尋常でないほどの心配と執着を見せる妻のメイベルの様子に、観客はすでに違和感を抱くことでしょう。



『こわれゆく女』改め『A Woman Under the Influence』(原題) とタイトルにあるように、初めは妻の振る舞いに目が行きます。メイベルの様子に危うさを感じるのです。

一見すると、メイベルの精神の揺らぎが、夫の精神を引っ張っているように見えていたのですが、よくよく映画を見続けていくと、果たして本当に恐ろしいのは夫なのかも知れないと印象が変わっていきます。

映画の冒頭からすでに不安定だったメイベル。彼女はいつから精神のバランスを崩していたのでしょうか。映画以前のこの家族の日常に、興味が惹かれていきます。
彼女がギリギリの状態になっていたのは、映画に映っている物語以前に、すでに夫の影響下にあったゆえなのでしょう。しかし映画を見ている人には、冒頭の様子は一見、こわれゆく妻を想う甲斐甲斐しい夫に見えるのです。一体、家族のことについては、側から見ている人には何にも見えていないのだなあと、物語が進むごとにハッと気づかされます。


全編を通して特に印象的に残ったのは、メイベルが子供だけといる場面では、観ていてハラハラしないことです。

子供とだけいるとき、彼女はおかしく見えません。彼女の振る舞いだって、彼女自身が子供だったら、それほどおかしくは思われないのではないでしょうか。

しかし画面に大人が現れるや否や、観ているこちらは途端にハラハラしてくるのです。彼女の行動がまた人目についてしまわないか、過剰だと思われないか、ニックはカッとしないかと、観ていてすごく不安になります。


夫が特に暴力的になったり、カッとなるのは、他人の目がある時ではないか?と感じました。
メイベルとニックは大変なこともあるけれど、確かに愛し合っているように感じます。しかし2人の世界に他者が入り込むと、メイベルの行動のズレが顕著になってしまい、耐えれなくなってしまうニック。
もしもメイベルとニック、2人だけの世界だったら、お互いにここまで精神が破綻することはなかったのでは、と感じました。


『こわれゆく女』を観て、昔々に読んだオノ・ヨーコの詩を思い出しました。
うろ覚えなのですが特別に印象に残っている場面があって、確か

犬が道端でオシッコをしたらみんなが微笑む
私が道端でオシッコをしたらみんなが顔をしかめる
ここは犬の街

みたいな内容だったはずです。
タイトルも詳細も忘れてしまったのですが、ああ、この感覚はわかるなって思った気持ちだけは、今でもしっかりと心に刻まれています。


人間って、成長するとともに許されないことが増える。
そう思うと、社会に生きるって寂しい生き物だなあと思いました。

メイベルが子供だけといるシーンではハラハラしないのに、大人という存在が登場するやハラハラしていしまう、この意味をしっかりと考えたいです。


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