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最近の記事

ww1とルーマニア(1914~20)

人物の画像については下記参照(都度貼っていると読みづらいので下で全部まとめる。登場順になってないかもだけど許して) 参戦まで中立 サラエボ事件が発生した時、ルーマニアは1883年にオーストリア=ハンガリー二重君主国との間で秘密裏に結ばれた同盟のために一つの決断を下さねばならなかった。国王カロル1世は7月21~8月3日にかけて王室評議会を開き、閣僚・皇太子フェルディナンド、国民議会議長、首相、各政党総裁がこれに列席した。評議会は国王と保守党総裁ペトレ・カルプを中心とする二重

    • 近代アルバニア史(民族覚醒~伊による併合)

      大掃除したり、鍋を食べたり、近代アルバニア史についてまとめたりしたい季節がやってきました バルカン戦争以前民族覚醒の始まり アルバニア人の民族覚醒は遅かった。そもそもアルバニアの支配は北部のブシャティ家と南部のテペデレンリ・アリ・パシャによる半独立政権に二分されていたし、宗教や言語も多様だった(かつセルビアやクロアチアのように統一運動も起きていなかった)。また、ムスリムのエリートはアルバニア民族として目覚める前にオスマン帝国ののエリートへ同化してしまい、アルバニア人という

      • ブルガリア史(第一次ブルガリア帝国崩壊まで)

        ブルガール人に関する初の記録から第一次ブルガリア帝国が崩壊するまで 大ブルガリアブルガール人がヨーロッパに到来する前に存在していた国家、大ブルガリアとヨーロッパ定住以前のブルガール人史について。 大ブルガリア成立以前 ブルガール人に関する最初期の記録は、8世紀に記された「ランゴバルド史」における5世紀のランゴバルド人とブルガール人によるパンノニア地方での戦闘に関する記録である。このことから、彼らが他の(ほかのテュルク諸族とおなじように)フン帝国を構成していたことがわかる

        • トゥドゥル・ヴラディミレスクとワラキア蜂起

          ワラキア蜂起以前のヴラディミレスク1780年頃、オルテニア地方のゴルジュ県ヴラディミリ村の自由農民(小貴族だったともいわれる)の家庭に生まれ、良い教育を受ける。青年期には家畜交易に従事しつつヴィディン総督パスヴァン・オウルによる侵略に対抗して作られたパンドゥール(民兵組織)に加入していた。 1806年の露土戦争(「第三次露土戦争」の呼称が用いられる)に際してはロシア側で参加し、功労により聖ヴラディミル勲章を受け取り、のち中将に昇進、ロシア軍の庇護とともにスルジェ(小貴族)の

        ww1とルーマニア(1914~20)

          セルビア帝国の崩壊について

          こんにちは、僕です。セルビア帝国といえば12世紀から続く「セルビア王国」から発展した国家で、2代限りの短期政権であったともいえます。 基本的にセルビア帝国の崩壊については「ドゥシャン帝の死により求心力を失った」とだけ書いて済まされることがおおく、当時のセルビア政情がどのように推移したのかについて知る術はあまり多くないように思えます。 そんな感じで今回はセルビア帝国の崩壊について、いろいろ書いてみようと思います。 ドゥシャン帝の功績ドゥシャン帝は「セルビア人とローマ人の皇帝」

          セルビア帝国の崩壊について

          最近読んだ中公新書歴史本の感想【ビザンツ・オスマン・オランダ】

          どうも、ダイエー帝國と申します。ここ半年くらいはまともに勉強もせず歴史本ばっか読んでたんですけど、感想を書く場所が欲しいなと思いまして、noteにかこっかな~って思います。小学生みたいな感想しか書けないけど(雑魚) ビザンツ帝国-千年の興亡と皇帝たち-1冊目は12月終わりくらいに読み終わったやつで、新しい研究も踏まえながらビザンツ史入門としてすごくいい本なんじゃないかと。各王朝時代の始まりのページには皇帝一覧や即位の仕方・最期、親政の有無などが書かれていて、簒奪帝と子への継

          最近読んだ中公新書歴史本の感想【ビザンツ・オスマン・オランダ】