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テクノロジーの哲学

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ぼくのテクノロジーについて書いた記事をまとめています.
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記事一覧

亜熱帯ジャングルで、"Primitive Cyborg" になる

Iriomote JUNGLE CLUBのこの3月のギャザリング無事全行程完了。全体で12日間のジャングル仮暮…

禅と現象学、そしてAI (GPT4テクノロジーエッセイシリーズ7)

GPT4原文 禅と現象学:静寂の中の真実へのアクセス禅と現象学は、異なる文化と時代から生まれ…

デジタル「exit」は救いか?

僕たちはこの世に生きている.現実を生きている.しかしその現実は,時に非常に窮屈で苦しい.…

コンヴィヴィアルなテクノロジーを考える: 再帰的な学習という技術の本質とコンヴィ…

今晩の技哲ナイト!に向けて音声を吹き込んで起こしたものをアップします. コンヴィヴィアル…

脱「ゲシュテル」は可能か?:生産性向上というテクノロジーの宿命の果てに

「ゲシュテル(ハイデガー用語のGestell.総駆り立て体制や集-立などと訳される)」について意…

技術哲学とは何か−−人とテクノロジーの関係を捉え直すために

技術哲学とは何か? 日本では,情報が少ないので,noteに基本的なことを書いておきたいと思い…

デジタル世界で蠢く生命体とテクノロジーの精神

私は、京都出身の父の仕事の都合で、鳥取で生まれ育ちました。 ジブリの世界のような自然豊かな里山が残っていて、その自然の中で日が暮れるまで、探検していた子供の頃。 けれども、なぜか、幼少期から私の意識の中には、世界認識に対する得も言われぬ「違和感」がありました。 いつも、風邪を引くと見る頭が狂ったような夢の影響もあってか、自然が豊かに調和したその世界と、人間としての私の中にある、おそらく人間であるがゆえ、と子供心に思われた、いびつで未完成で狂気に満ちた内面が、成長するごと

マインドアップローディングは可能か? ーメタバースや死生観との関わりなどー

皆さま、こんにちは。12月に「マインドアップローディング技術と死生観」について、科学技術社…

技術哲学研究会のご案内

仲間と技術哲学研究会を立ち上げました! ご案内PDFはこちら↓ https://drive.google.com/fi

2022年は、テクノロジーを哲学したほうがよい理由−例えば、この美しい地球のために

テクノロジーの哲学や設計論を研究している七沢といいます(プロフィールはこちら)。自分の会…

サイボーグメディテーション②

サイボーグメディテーション。これは、なかなかインパクトがある言葉かもしれない。しかし、そ…

「監視資本主義」とweb3.0について考える

「監視資本主義」(ショシャナ・ズボフ)著という海外でベストセラーになったという本の読書会…

「ポストヒューマニズム・トランスヒューマニズムと機能主義的転回」応用哲学会発表予…

5月の応用哲学会で発表予定の、「ポストヒューマニズム・トランスヒューマニズムと機能主義的…

監視資本主義批判の前提 ハイデガー〜マトリックス〜ズボフに共通するもの

監視資本主義の問題点について、こちらでズボフの「監視資本主義」を要約して解説した。 この記事では、その前提となる、そもそも、ズボフらの悲観的技術論に共通するロジックについて、「ハイデガー〜マトリックス〜ズボフに共通するもの」としてお話したい。このロジックについて、馴染みがない人も多いようで、ここでしっかり書いておく必要があるのかもしれない。読めばすぐわかる簡単な話である。ざっくりいうと「テクノロジー、または(テクノロジーを使って)社会は、自然や人を用立てて、自然や人を原材料