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ありがとう

ここのところ時々
用事で地元の商店街へ行く
目的地までの道中に
たい焼き屋さんがある

糖質の摂りすぎは厳禁なので
この冬に通りかかった
過去7回はがまんした

しかし8回目の帰り道
ついに買ってしまった
意思が弱いなあ

焼きたてで温かい
だけどいい歳をしたおじさんがひとりで
たい焼きを食べながら商店街を歩く
その絵面を想像すると見るに耐えない

そこのイオンまでがまんして
コーヒーも買ってゆっくり食べた

あんぱんはこしあん派だけど
たい焼きやあんまんは粒あんじゃないとだめだ

たい焼きやコーヒーを買うと
もれなく「ありがとうございました」と言われる

ご馳走したら「ありがとう」
お手伝いしても「ありがとう」
プレゼントにも「ありがとう」

ありがとうという言葉は
いい言葉のはずだけど
あまり言われたくない

いや、どうでもいい人に言われても
普通に受け止めて社交辞令で愛想笑いをし
「いえとんでもないことです」と返す

たい焼き屋さんとかイオンとか
お店で定型文として使われる分も
気にならない

だけど近しい人から言われたらなんか嫌なんだ

近しいというかなんというか
線引きが難しいけど…

レミオロメン「ありがとう」
この歌は良い

ご馳走するのも
お手伝いをするのも
プレゼントするのも

したいからしてるだけで
けっしてその相手のためとか
そんな恩着せがましいことではないんだよ

人は与えられるだけじゃなくて
与えることでも喜びを感じるはずだよね

だからお礼を言うのはこっちの方で
言われる筋合いはないんじゃないか

ある活動にボランティアで毎週参加してるが
すごいわけでもなんでもない

それに近しい間柄なら
お互いが常に与え、与えられる
関係性なはずでしょ

一緒にいるだけで嬉しい
たわいもない話をするだけで楽しい
会えない時にも思い出すだけで幸せ

そんな気持ちを共有してるなら
いちいちありがとうとなんか
言う必要ないだろって

宇多田ヒカルも「Flavor Of Life」で
同じようなことを言っている?

だから大切な人に
ありがとうと言われると
とてつもなく距離を感じて
さみしくなる

ああ、この人はまだ
お礼を言わないといけないぐらい
遠くにいるんだなって

お礼なんか言われなくても
言葉になんかしてくれなくても
ちゃんと分かってる

そんな関係になれたら
楽なんだけどなあ

「君ともこうして分かり合えたんだから」
こうなると時が見えるらしい
言葉にしなくても分かりあった状態
ニュータイプでもかなり難易度は高い