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「簡潔に話すな」だって「喋ればしゃべるほど、本当のこととはかけ離れていく」から

「言葉を喋ればしゃべるほど、本当のこととはかけ離れていく」豊川悦司が美しすぎて大好きなドラマ「愛していると言ってくれ」での紘子セリフだ。

「簡潔に話すな」これは、最近よく見かけて、とても気になっている若新さんのインタビュー動画。


言葉だけ聞くと正反対のように聞こえるけど、たぶん、意味するところは同じだ。心の中で感じていることを表すのに、完璧な言葉なんて、存在しない。本当に心に手を当てて、忠実に表現しようと思えば、文章としては駄文とされる、長くて複雑で要領を得ないものになるだろうし、"簡潔"に、キレイに表現されたとしたら、その思いの大部分は、諦めて切り捨てられていると思う。

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真ん中の丸が心の形だとして。これが本当に感じていることなのに

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言葉にすると、こうなる。

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本当は、小さなhopeでも、"hop"でさえないし、"ange"でもなくて、こういう言葉にならないものなのに。言葉にすると形にされてしまう。

言葉には定義がある。辞書をひけば、正しい意味が載っている。つまり、言葉は形だ。ちゃんと形がある。"怒り"とひけば「おこること。はらだち。立腹。」と出る。でも、実際に人の中で起こるそれとは別物だ。その言葉の定義と、あの時の怒りと、今日の怒りは、それぞれ全く別の形に色をしている。

なぜか、ネガティブな言葉から始めてしまったが、"喜び"だってそうだ。「嬉しくて」と同じ言葉を使ってしまったからと言って、廃番になってしまったロングチョコゼブラを再びお店で見かけた時の「嬉しくて」と、子供が生まれた時の(ナナシノユキサン、子供いないけれど)「嬉しくて」を同じ形と色のものだと思われたら、たまったものじゃない。

ビジネスだとか、非常に忙しい人と話す時は「簡潔」に伝えなくてはいけないのだと思う。どう感じているか、なんて必要にされていないから、泣く泣く、他のものは削いで捨てて、一番重要だと思われるところのみを伝えなくてはいけない。ビジネスと言ったって、実際は、色々なバックグラウンドや事情があって、一番重要なことの他に、こうこうこういった理由で、こちらの選択肢を選ぶには不安があって決めかねている、と付けたしたい場合だって、たくさんあるが、その付け足しが多ければ多いほど、無能な人だと思われかねない。


ナナシノユキサンは、note上で、人知れず「ちょっと思ったんだけどさ」シリーズを続けている。これは、mixi時代から、もう20年ほども書き続けているものなのだけど、書き留め始めた理由は、本当は頭も心もいろんなことを考えたり感じたり、思いついたり発見したりしているのに、ほとんどのことは言葉にされる前に消えていなくなっちゃう、と思った。常に話す友達が回りにいるわけじゃないし、話すほど重要なことばかりじゃない。でも、自分で面白いな、と思ったことが、そのまま消えていくのがもったいなくて、なるべく捕まえて、残しておこうと思ったのだ。できるだけそのまま残しておきたくて、存在しない言葉もたくさん使っている。

言葉は重要なことを表すのに合っていて、心で感じることなんかは、重要ではないこともたくさんあるのだろうが、いつのまには空気のようにいなくなりそうな、形容し難いものまで、全部「たいせつ」なのである。だって、本当にそこに存在したのだから。

心の中を表すのに、完璧な言葉なんて存在しないけど、できるだけ、その思いを壊さないように、触った衝撃で変形させてしまわないように、そっと覗いて、たくさんたくさんの言葉を使ったら、限りなく近く言い表すことはできるかもしれない。

ナナシノユキサン、実は書きたいことがない、とか思ったことはない。書き途中の下書きがうんとある。あ、これ!と思った時の「これ」はまだ、色々な形や色をした空気の状態だ。自分の中では、合点がいっているのだが、それを言葉にしようとした瞬間、言葉という形を与えた瞬間に、色々なところがこぼれ落ちていってしまう。

あぁ、言葉ってなんて不自由なのだ、と思いながら、それでも、思いや考えが消えちゃう前に存在させるには、やっぱり今のところ、言葉という手段が唯一の方法だろう。だから、まとまらなくても、上手じゃなくても、たくさんたくさんの言葉を使って、少しでも存在させたい、と思ってしまうのだ。


あぁ、何をいいたいのか分からなくなってしまった。今日も、到着点を見失ってしまったことを、言葉というものを使ったせいにして、終わりにしよう。


以上、ナナシノユキサンでした。

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