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私は昔からことばが好きだったように思います。自分にとって多分一番扱いやすくおもしろい存在だったんじゃないかと。
ですが、何事もそれを遣う本人の心持ち次第で、その現象が良いようにも悪いようにも作用します。

何が言いたいかというと、私はことばが好きなのですが、好きだからゆえにそれに執拗にとらわれてしまう性質がある、ということです。

…ここまで書いて、あらそれってことばだけじゃなくて、私が好きなものすべてに言えることだと思いました苦笑 好きなものには必要以上に入れ込んでしまう。そしてそれが自分の期待から逸れていると腹の底で怒り出す…そんなことが多かったように思います。

さて話をことばに戻すと、私は自分をことばの箱庭に幽閉してしまうことが多かったです。多かったというか、もしかしたら人生第1期はほぼ幽閉状態だったんじゃないでしょうか。ことばで表現するもの、ことば自身、そしてそこに深く関わっている文化や社会通念が、絶対のものだと信じきっていたのですから。それはそれは苦しかったんでしょう。それと同時に、その箱庭にいれる安心感があったことも事実です。

なので、第1期以来ひさびさにこうやってことばを綴って行く中で、自分の中に一つの懸念があります。それは、第1期のようなことばの箱庭に幽閉されていたときの自分に戻ってしまうんじゃないか、という懸念です。正直今は、その感覚には戻りたくありません。その意思だけで、私は自分で自分を幽閉せずにいられるのか…ちょっと勝負所です。

…こんなことは自分の深層意識でいつも渦巻いている葛藤なのですが、それをこうやって言語化したのはとても久しぶりな気がします。それこそ第1期以来です。あのときの鋭利な内面観察と表現が大好きだったので、それを思い出しつつ、そこに幽閉されずに済むバランスを確立していきたいって今は思います。

そして、そのバランスの取り方で今はいい傾向にあることが、今まさにブログを書いていて思いました。というのは、今私は文章を公に書いています。これがいいと思います。第1期の頃はブログではなく自分のノートに書いていました。狭く、閉ざされた世界です。それも安心できていいのですが、こうやって公だと思って書くと(たとえ誰も見ていなくても)、いい意味で周りの人に自分を客観視してもらえる、その影響で自分も自分のことを程よい距離から客観視できそう、そんな気がしました。

その自分との距離感で、ことばの箱庭を愛でつつ、あえてそこに自分を縛り付けたりしないように、軽やかに踊るように、また文章を書いていけたらいいな、と思ったのでした。

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