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信じることは、不確かなこと。

誰かの批判をするのは簡単で(だったら自分でやってみたら?)と思う。
せっかく生きているなら、もっと自分のためになることに時間を使ったらいいのにとも思う。(そして、そんなコメントを見てしまう時間ももっと有効に使うべきだったと反省している。)

何かを発信したり、何かを作り上げたりする人のもとには人が集まり、支持者、広い意味でフォロワーになる。ただ、その行動がひとつでも自分の意に沿わないものだった場合に、失望して反感をもってしまう。
アンチは「自分の考えに気づいてほしい」という思いのなれの果てとも言える。

少し前に話題になった芦田愛菜さんの言葉。本当にその通りだと思った。

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」

「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

芦田愛菜さん(主演映画「星の子」の完成報告イベントにて)

私はもう10年以上前の会社の研修で言われたことが今でも記憶に残っていて「過去と他人は変えられない、変えられるのは自分と未来だけ」と、何かあるごとに考えて進んできた。

自分が変えられるのは自分だけ。そして変わった自分が行動する未来だけ。
他人も過去も変えられないのだから、自分の軸を持つことに注力して、余裕を持って受けとめられるようにしたい。

きっと芦田愛菜さんの言葉は、いろんな意味に捉えられるし、何度読んでくみ取ろうとしても、言葉の真意は憶測になってしまう。
でも私なりの考え方と共鳴するように捉えられる部分があって、とても心強い。

年齢や生き方にとらわれず、尊敬する気持ちや理想に思う気持ちは大切に、忘れずにいたい。

信じることは美しくもあり、不確かなものの証明でもある。だから自分が信じたことを信じ続けられるくらいの軸をもっていたい。

もし信じられなくなったら、自分にはもう確かになったものなのかもしれない。

そうなったら、黙って去る。
無駄に争わず、冷静に。
自分の時間を生きていこう。


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