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私が行動せずにいられなくなった理由。【大晦日のライターnote】

2020年に私が強く感じた思い。

私は「誰かを勇気づけられる文章を書きたい」。自分の思いを伝えられるようになって、誰かの気持ちを救うことができたら。「大丈夫だよ」と伝えられたらと思った。

それで自分の発信力を高めたくて、がむしゃらに進んだ。早く成長したいと思った。早く伝えたくて、前のめりに進んだ1年だったと感じている。

そのきっかけは悲しいニュースだった。

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2020年5月。ただでさえ外出ができない中で、みんなが何かしらの不安やストレスを感じていた。私もつい悲観的になってしまうことがあったし、もしこのまま私がいなくなっても、誰も困らないかもしれない。そんなことまで思うこともあった。

そんな日々を過ごしていたある日。いつも通りに原稿の締め切りに追われてデスクに向かっているときに、ふとSNSのニュースを見て訃報を知った。

画面を通じて知っていて、直接会ったことはないし、話したこともない。でも出演されている番組が好きで、とても身近に感じていた。そんな人が突然いなくなってしまうことの衝撃。

はたから見れば、私は完全に関係ないのだけれど、そのことを考えるたびに泣いてしまった。あまりに泣いてしまうことが多かったので、精神状態を心配されたことを覚えている。

訃報を知ったとき、信じられなくて、いろんなニュースを見た。どうしてその決断をしてしまったのか。でも、その原因になりそうな一部始終を、私はなんとなく知っていた。SNSでの発信にも注目していたから、深夜の彼女の発信には違和感を持っていた。

投稿についたコメントには、直接的な表現で彼女を責める人もいて「そんなこと伝える必要ある?」と憤りながらも、特に私自身のアクションは起こさなかった。そして、訃報を知ることになる。

(もっと何かできなかったのか。)

何かを伝えられていたら、今が変わったかもしれない。

そんなことを思って、後悔した。何もせずに傍観してしまったことを悔やんだ。

そんなことを言うと、冷ややかに見る人もいるかもしれない。「あなた1人の言葉で何が変わるのか」そう言われてしまっても仕方ないと思う。

でも、私1人の言葉で、何かが変わると思って行動したい。だって、行動したことで、もしかしたら救われる人がいるのかもしれないのだから。

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私の声が届く範囲はまだ狭いけれど、その中でも誰かに届けられることで、少しでも救われる人がいたら。

そうやって、人とのつながりを大切にして生きていきたい。私にできることは、まだ少ないけれど、来年はもっと増やせるように。発信し続けたい。

今年の最後に書いておきたくなった。

私は不器用なので、思っていることをちゃんと伝えられないかもしれないけれど、来年はもっと表現して、誰かに届けられるように。noteを書いていこうと思っています。

2021年も、頑張りますね。良いお年をお迎えください。

ここまで読んでいだだき、ありがとうございました!もっとすてきな記事をお届けできるように、頑張ります!