見出し画像

人生で初めて胸を揉まれた、その相手は



20歳の時、初めて異性に胸を揉まれた。

2人きりの、給湯室。
私はお茶を沸かしていた。
何か手伝うことはないかと、彼がやってきた。

そして突然、彼は私に抱きついてきた。

「僕はみずみつさんが好きなんだ」

困惑するというよりも、焦るというよりも、信じられない展開にパニックに陥った。

何をどうしていいか分からない。

棒立ちになっているうちに、彼の手が私のTシャツの中に入ってきた。
その手は背中から侵入して、躊躇なく胸を触ってきた。
軽くではない。
普通に、揉まれた。

「好きだから。好きなんだ。」
と、何度も言われた記憶がある。

信じられないことだった。
頭の片隅にさえなかったことが、現実に起きてしまっている。
でも、どう反応すればいいのだろう、、、
パニックになりながらも、どう拒絶するのが正解なのかを考える。

彼は、12歳。
小学6年生だった。


私は大学生の時に、当時、市がまだ始めたばかりの放課後スクールでアルバイトをしていた。
ボランティアという肩書きではあったけど、1時間800円いただいていたので、アルバイトだった。

この放課後スクールは小学校の敷地内にあり、主に低学年の子がよく利用している。
この制度自体は今も存続しており、小学生の親となった今は大変助かっている制度だ。

当時、低学年の子が多かったけど、高学年の子もたまには利用していて、頻繁に来る子も数人いた。

20歳と12歳。

友達のような感覚で接してくる子もいたし、それはそれで楽しかった。
が、ちょうど異性や性的なことにも興味を持つ世代であることを忘れていた。

彼は、いい子で、なんだか懐いてくれる子だという印象しかなかった。
私は小学生の男子を甘くみていたのだ。

放課後スクールで、何度も彼と接しているうちに、彼は私に好意を持ってしまったらしい。
好意、なのか単純に性的な興味の対象だったのかは分からない。
知らない間に、彼のその興味は暴走し、ついに手を出されてしまった、ということになる。


さすがに、黙って揉まれてるわけにもいかない。
それなのに、今、自分がどう反応するのが正解なのか、私の言動や反応が、思春期の彼に致命的な傷をつけるのではないかと、なぜかそんなことを考えた。

が、いや、考えてる場合じゃない。
彼の手が、下の方にまで伸びようとしてきたからだ。

「やめて、ちょっと本当に、やめて」
「これはダメだから」
そんなようなことを言って、彼を力で引き離し、人がいる方へ走って逃げた。

私は小柄だけど、彼もまた6年生にしては小柄な子だった。
これが大柄な子だったら、力でも負けただろうと思うとゾッとする。

頭の中が激しく混乱していた。
良い子だと思ってたのに。
小学生なのに。


中学高校と女子校で過ごした、というのは言い訳になるが、恋愛には縁遠い10代を送ってしまった。
20歳のその時、大学の同級生と初めて付き合っていたけれど、プラトニックな関係でしかなかった。

それで、初めて異性に胸を触られたのが、これだ。

そのことが起きてから、小学校高学年の男子が全て気持ち悪い生き物に見えるようになった。
性的な対象として見られ、実際にそんな行為をされたからというだけではない。
「好き」という言葉を使えば、触らせてもらえると思ってるのではないか。
当時、色々あって弱々しかった私は、背も低いし、これならいけると思われたのかもしれない。
「好きだ」という言葉を、身体を触る正当化のように使っている感覚に激しく汚いものを見た気がして、こじらせ過ぎて彼氏とも別れてしまった。
何ヶ月もプラトニックでいてくれた、奥手のとてもいい彼だった。結局、彼氏には胸を揉まれないまま終わってしまった。
別れた理由はもちろんそれだけじゃないけど、この出来事もかなり影響したと思う。


その後、逃げたはいいが、どうするかが問題だった。
この件を、無かったことにしていいのか?
それとも責任者の先生に報告するべきか?

責任者の先生というのは、定年退職後の小学校の先生で、当時60代後半の男性だった。

話がそれるけれど、私は子どもが特別好きではない。なんなら苦手だったかもしれない。40歳になって自分の子どもができても、これは変わっていない。
そんな私がなぜ、このバイトをしていたかというと、友人のお母さんがこのスクールの立ち上げに関わっていて、若い人材が欲しいということで頼まれたからだ。大学生になったのとほぼ同時のことだ。
面接で先生に会い、正直に、「たいして子どもが好きじゃない自分でいいのか」と尋ねたところ、
「それだからいいんだ」
「子どもはこれから社会の中でいろんな大人と接する。それは子どもが好きな人ばかりじゃない。いろんな大人と関わることが大事なことだから。」
と言われ、なるほどそれもそうだよな、と思って始めることにした。

入ってみれば、子どもたちは若いお姉さんというだけで遊びに誘ってくるし、それなりに楽しく過ごさせてもらった。
先生には、「子どもを好きすぎないところがいい」とその後も言ってもらっていた。

子どもが好きじゃないということは、子どもが全く分かってないとうことだ。
そんな状態で上下の関係を築くことができなかったことが、この事態を引き起こしたのだろう。
私は、彼を咎めるというよりも、自分の態度を責めていた。

結局は自分一人で消化できず、同じアルバイトをゆるゆるとしていた同い年の友人に打ち明けて相談することにした。
彼女の反応もまた、「ええっ!?あの子が?まさか、あの子が?」というようで、「あぁ、やると思ったわぁ」ということは決してなかった。
そのくらい、他の人から見ても「いい子」だったのだ。


もう会いたくないから、彼が卒業するまで私が行かなきゃいいかなくらいの相談のつもりだったけど、
彼女からも「言わないの?言った方が良くない?」という言葉が返ってきた。
言って、、、、
言ったら、、、どうなるんだろう。
お母さんの耳に入るのか。小学校の方にも連絡がいくかもしれない。
そんなこと、お母さんの耳に入れたくない。というのが、真っ先に浮かんだ。
彼から、言ったことを逆恨みされるかもなんて考えはなく、一番気にしたのが、この先の彼や家族のことだった。
私が明るみに出すことで、どういう展開が待っているのかが怖かったのだ。
相手が小学生だからか、そういう年頃だと思ったからか、彼を気持ち悪いとは思っても、他の人間から避難を受けさせることに躊躇いがあって、あの時の気持ちは自分でもよく分からない。


友人は、私と60歳後半の責任者のおじさんが二人でそんな話をしてるのはいたたまれないから、ついてってあげるよ、とも言ってくれた。
そんな話をおじさん先生と二人でするなんて地獄絵図なので、その申し出はありがたかったけど、結局は「言わない」ことに決めた。
友人が言った「相手が私だったから、大人だしこれで済んだけど、小学校の子にやったら大変だよ。中学でも何するか分からないよ。」という言葉に、かなり悩んだけれど、もはやそれは私の知るところではない。

何度か顔を見たことのある、彼のお母さんのことがが頭から離れなかった。
とても優しそうで、朗らかな笑顔のお母さんだったと記憶している。

その後、彼が卒業するまでは、あまり会った記憶がない。
私が行く機会を減らしたし、会ったとしても接触しないでやり過ごせたんだと思う。
彼が卒業してからも、大学を卒業するまで、高学年はなんとなく避けながらゆるゆるとバイトを続けて就職を機に辞めた。

もう一人、ずいぶんと経ってから、同じ小学校でスタッフをすることになった自分と同年代の男性に「以前こんなことがあった」と打ち明けたことがある。
教育大学に通っていて、小学校の先生になる人で、確か彼が卒業してからスタッフになったはずだ。面識は無かったと思う。
「発達に問題がある子だったんじゃない?たぶんだけど」
「そういう子って、性的な衝動を抑えられなかったりするんだよ。教室で自慰行為する子もいるって聞いたことがある。」
そんなことを言われても、当時はまだ発達障害のことも今ほど色々情報が出回っていなかったけど、そんなもんなのかな。。。
そうだったのかな。。。くらいに思っていた。

時が経ち、私には、自閉症スペクトラムの診断がついている小学生の息子がいる。3年生になった。
通常クラスに在籍しているので、息子以外の発達障害の子に深く接する機会はないけど、息子が利用している放課後デイサービスの子どもたちのことも少しは見ることがあって、息子や他の、いわゆる知的障害を伴わない発達障害の子どもたちを見て考える。
確かに、発達障害を持つ子の中には、他人との距離を適切にとれない子もいて、実際に高学年になっても女子に抱きついて問題になるケースも珍しくはないらしい。
放課後デイのスタッフさんも、その辺りは注意して人との距離感については指導をしてくれているようだ。
ただ、、、
あの時、胸を揉んできた彼は、やはり違うと思う。発達云々を抱える子から感じるちょっとした独特の空気感というか違和感というのが皆無だった。
むしろ、空気を読んで大人と同等に話もできる子だった。
一言でいえば、早熟だったのだろう。

息子を持つ身として、性教育はどうにかしていかないといけないと思いながらも、重い腰が上がらない。できれば、そういうのは旦那に任せたい。
息子はすでに私の裸を見ることはいけないと思っているし、下ネタも言わないので、ある程度は理解をしていると思うけれど、ここから先は難しくて頭が沸騰しそうだ。
そんな感じでうだうだしていたらすぐに、小学校高学年はすぐそこに来てしまう。


ちなみに、私は本当に小学生の時は無知で、何も知らなかった。
生理が来たら妊娠する可能性があることはもちろん知っていたけど、学校で教えてもらった以上のことは誰からも教わっていなかった。
生理自体が、中2で始まっている。
その辺りで初めて自らでティーン雑誌から情報が入って、行為の全てを知った時は、衝撃なんてもんじゃない。
「みんなの初体験トーク」のようなテーマに、今となっては本当かどうか分からないが自分とそう年齢の違わない女子たちの経験談まで載ってる。
当時はもちろん、そこに書いてあることは全て本当だと思いこむ。

今のティーン誌も、あんな感じなのだろうか。それとも時代がそうだったのか。
雑誌がどうかはさておき、むしろ今の方が、ネットには沢山の情報が溢れていて、生活全てを見張っていない限り制御もしきれないかもしれない。
とにかく、全ての美しいと思っていたものが、ひっくり返ったあの瞬間。
雑誌を見ながら泣いた気がする。

果たして、みんなはいつからこの「事実」に気づいていたのだろう。
中2まで、いつか母が言っていた「赤ちゃんが欲しいと思ったら不思議とできるのよ」なんて言葉を信じていた。

そして男の子はいつから知ってたんだろう。
20代の半ばに付き合っていた彼氏に聞いてみたことがある。
ついでに、小6の子に手を出されたことも話してしまった。
「は?小6!?知ってるに決まってんじゃん」
「全部知ってるって、最後まで知ってるって。最後まで襲われなくて良かったね」
と笑い話にされてしまった。
「中2まで知らなかったって、どう生きてたらその情報そこまで知らないでいられるんだよ」
とのことだった。

あぁ、そうか。全部、知ってたのか、、、
胸を触りたいだけじゃないよね、下も触りにかかってたもんね、そうだよね、、、

話を戻すけど、というわけで、彼が卒業したことでこの件は終わったのだけど、後日談がある。

就職して1年目。一緒のバイトをしていた友人と「責任者の先生に顔を見せに行こう」という話になり、小学校の校門前で待ち合わせをしていた。
友人を待っていると、なんと、道路を挟んで反対側に自転車に乗った彼がいた。
目が合ってしまった気もしたけど、すぐそらした。自転車でそのままどこかに立ち去ってくれたかと思ったら、反対側からこちらに来て、気づいたら私の目の前にいた。
「みずみつさん」
「あの時は、ごめんなさい。あの、、、胸を触ったこと、、、」

中学3年生になった彼から、まさか謝罪されるとは思わなかった。
彼はこの3年間、あの時のことを自分の中に抱えていたのか。
そのことに、少しだけなぜか感動している自分がいた。
いいよ、なんて言えるわけがない。黙って頷くしかできなかったと思う。

「みずみつさん」
「もう結婚してますか?」

「は?」と思いながら
「してないけど」と答えると、

「僕は今でもみずみつさんが好きです。」
そう言葉が返ってきた。

私、23歳。
彼、15歳。

その後、有村架純と岡田健史(現 水上恒司)の「中学聖日記」という中学校教師と生徒の禁断のラブストーリーが世間を賑わせたこともある。年齢的にはそう変わらないシチュエーションだと思うが私は美女ではないし、彼もイケメンではない。
しかも、3年前に胸を揉まれている。

どうにかなるはずがない。

「結婚はしてないけど、彼氏はいるから」と、
友人を待たずに校門の中へ逃げた。

結局は最後まで逃げただけだったな、と思う。

その後の彼が、どんな人生を送っているのか知る由もない。
今、30代前半になった彼は、結婚してるのだろうか?
それともモテない人生を送ってるのだろうか?
社会的な地位とか、ちょっと気になっている。
どんな彼女を作って、どんな風に女を扱ってきたのだろうか。
もちろん、ありありと想像することはない。

けれど、40になっても、私がこのことをたまに思い出すように、
彼もまた人生の中で引っかかりとして持ちながら生きていてほしい。
そうじゃないと全く公平ではないから。
やられた方だけが覚えているなんて、全く公平じゃないから。
それだけの話である。

最後に。
今年に入ってからだったろうか。
息子を放課後スクールに迎えに行った際に、参加票と月のお知らせの他に白い紙が1枚入っていて、スタッフの50代後半か60代のおばさんが少しバツが悪そうに「これはお母さんが読んどいてくださいね。」と渡された。
内容としては、他の学校の放課後スクールでスタッフが児童にわいせつなことをして解雇しましたという報告だった。

小・中学校の教師や、小・中学生に関わる大人がわいせつをするニュースは定期的に報道されて、「またか」と思う。
大人が子どもにすることは、犯罪なのだからすぐに問題になる。
でも、中には言えない子どももいるだろうことで、日々、目にしているニュース以外にもきっと水面下にはもっともっと大人の欲望が渦巻いているのだろう。
それと同時に、子どもが大人にすることは、なかなか外には出ていない。
外に出すべきことなのかも、分からない。
問題になっても、内部処理で終わっていく。
子どもの未来を考えたら、それが正しい形なんだろうと思う。
その一方で、私たちは子どもの持つ性欲について語る機会を失う。

だからといって、私自身は性教育に問題提起をしてどうのこうの言いたくてこんな話をしたわけでもない。
ただ大人と同じように子どもの中にも存在する感情を見過ごしていたり、子どもの持つ欲望を意図的に見ないようにしていることがあるのではないかと、そんなことを感じている。










この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?