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「物語 タイの歴史」で、裏側から見えたカンボジア

こんにちは。もうすぐタイ旅行に行くことから、前回の日本帰国で買ったタイの歴史の本を読み進めています。

これが図らずも、その前に読んでいた「アンコール王朝興亡史」の続きということに気がついてしまいました。

どういうことかと言うと、「アンコール王朝興亡」ではアユタヤ王朝によるアンコール陥落で話が終わっているのですが、「タイの歴史」はアユタヤ王朝あたりから本格的に始まるので、結果としてはこの2冊が繋がるのです。

カンボジアのガイドブックなどを読むと、アンコール王朝と近代史(仏領時代とポルポト政権)にはページが割かれているものの、その中間が空白であることは感じていました。

タイの歴史をざっと知ることで、この空白が埋まりました。またその時代がカンボジアにとっては主権がなくベトナムとタイに二重に朝貢した、ある意味屈辱の歴史であったことからあまり語られないのだと、第三者の外国人として思いました。

先日ふと思い立って行った、アンコールワットの評価の低いレリーフ(第一回廊北)、これもアユタヤに関係あるようです。このレリーフはアンコールワット建立時には完成せず、陥落後には未完のまま放置されていました。

諸説あるようですが、上記の石澤先生の本によると、アンコールワット建立400年後、アユタヤがビルマに攻撃されたことからアユタヤの力が弱くなり、そのスキにクメール人が頑張ってレリーフを完成させたのではないかということです。ビルマ(ミャンマー)がカンボジアの歴史にまで関わっているとは思わなかったので、大陸の歴史はダイナミックだなと興味深いです。

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