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「世界大百科事典」の重み

いつからでしょうか? 私の記憶にある限り、私の実家には平凡社の「世界大百科事典」がありました。

ウィキペディア「世界大百科事典」によりますと、平凡社は「大百科事典」という名称の事典を初めて世に出したのは1931年だそうです。その後いくつか版を重ね、名称に「世界」がついたりつかなかったり、改訂版、改訂新版などがついたりしているようですが、私が家で見ていたものはおそらく1964年版 (全26巻) か1972年版 (全35巻)。あるいはもしかしたら1964年版と1972年版の両方を見ているかもしれません。

どっしりと父親の書斎に鎮座した「世界大百科事典」。私の中学や高校の宿題やレポート、そして大学生の時に行った高校での教育実習の予習に大活躍しました。

当時はまだインターネットなどと言うものはなく、当然「ウィキペディア」など便利なものもありません。

「世界大百科事典」で調べるか、図書館で本を借りるかコピーさせてもらうか、本を購入するしかありませんでした。デジタルではないため、サクッとコピペなどということもできません。

手を動かして書き写すしかないので、頭には多少残りやすかったかもしれません。長い文章を書き写すのも大変なので、自然と要約しようと試みたのも、内容理解につながって良かったかもしれません。

宿題や予習に追われている時、百科事典はとりあえず私にヒントをくれる、なくてはならない存在でした。そして時間のある時、父親の書斎に忍び込んで、適当に百科事典を開いて読んでみるのもひそかな楽しみでした。

本棚のかなりの場所を占めていた「世界大百科事典」ですが、1990年代に入るとCD-ROM版が発売され、さらに2013年には電子辞書にも搭載されるようになりました。

場所も取らず簡単に検索できるようになりましたが、なんだかあの重厚な装丁に守られた「知識の重み」というか、「情報の重み」みたいなものが感じにくくなってしまいました。

それでも、デジタル化したとはいえ「世界大百科事典」は多くの方が時間をかけて、内容を吟味しながら、推敲に推敲を重ね、編集・執筆を行っていることを考えると、ネットに垂れ流されてくる噂話のような情報とは一味ちがう言葉への真剣さや重みを感じます。

でもやっぱり私は、辞書でも、百科事典でも、その作り手の真剣さが手に取って感じられるような紙の本が好きです。

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