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「農場」はどこへ?

私が住んでいたころ、埼玉県鶴ヶ島町 (現在の鶴ヶ島市) には、私たちが単に「農場」と呼んでいた「埼玉県農業経営大学校」がありました。

広大な敷地にはきれいに手入れされた畑があり、牛の鳴き声が聞こえ、美しい雑木林があり、そして、農業を学ぶ礼儀正しく、私たち子どもにも親切でやさしいお兄さん、お姉さんがいつも一生懸命作業をしていたイメージがあります。

小学や中学の時にはよく学年で歩いて訪問し、敷地内で写生などをさせていただきました。特に新緑の初夏や紅葉の秋は美しく、ちょっとした遠足気分でした。

私は文部省唱歌の「牧場の朝」を聞くと、この「農場」の光景を今でも思い出します。

鶴ヶ島市にあった農業経営大学校の歴史は古く、1945年4月、40ヘクタール余りの敷地をあて、農村中堅青年養成を目的として、埼玉県農民道場として開校したそうです。

何度かの改組・改称を経て、1969年4月、農業経営伝習場と埼玉県比企郡にあった農業研修センターが発展的に整備統合され、鶴ヶ島を本拠とする埼玉県農業経営研修所が発足しました。

私が小学生だった1973年4月に従来の機構を全面的に改め、2年制の埼玉県農業経営大学校となったそうです。私が訪れていたのは農業経営大学校になってからですね。

私が鶴ヶ島を離れた後の1985年4月には従来の農業後継者の育成に加え、新たに農村地域の指導者の研修を行うため、埼玉県農業大学校となったそうです。

そして、2015年、私の知らない間に、「農場」は熊谷市に移転になっていました。。。

鶴ヶ島は今でこそ、関越道と圏央道が交差し、インターチェンジを擁する交通の要所のようなイメージですが、以前は静かな農村地帯でした。1996年に圏央鶴ヶ島インターチェンジが運用開始されてからは、付近の開発が始まったようです。

鶴ヶ島市長から埼玉県知事に対し、農業大学校敷地を含んだインターチェンジ周辺地域の整備についての要望がなされ、これを機に埼玉県で検討を重ねた結果、埼玉県農業大学校を鶴ヶ島市から熊谷市に移転させることが決定したとのことです。

「農場」の懐かしい思い出のある私にはちょっと寂しい気もしますが、これも時代の流れなのでしょうか。

もうすぐ「農場」の美しかった紅葉の季節がやってきますね。場所は変わっても農業の未来を担う若者が変わらず一生懸命学んでいることと思います。若い人が日本の農業に希望を持てるような社会にしていきたいです。

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