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記憶に残っているあの寒い日は何年何月何日か?

日本は大寒波で雪や低温による被害・事故が起こっていると聞いています。
雪や寒さの厳しい地域にお住まいの方は、どうか健康や安全に気を付けてお過ごしください。

寒波で思い出すのは、埼玉県の鶴ヶ島町 (現 鶴ヶ島市) に住んでいたころ、学校に行こうと家から外に出ようとしたとき、家の内側から玄関の金属のドアノブを触ったとたん寒さで手がドアノブにくっついてしまったことがあったことです。

よく冷凍庫の中のものを取り出そうとするときに、手に付いたちょっとした水分が一瞬で凍り付き、冷凍庫のものに手がくっついてしまう、あんな感じです。

その時、一緒にいた兄が外の温度計を見て「マイナス9度だった」と言っていたのをよく覚えています。

この日は一体何年の何月何日だったのか、実際の気温はどのくらいだったのか、気象庁などの過去の気象データのページから解明できるか見てみることにしました。

私は2才半ごろから高校卒業するまで埼玉県の鶴ヶ島町 (現 鶴ヶ島市) で過ごしました。小学校5年生になった年に鶴ヶ島町内で引っ越しました。

思い出せるその日の光景は、鶴ヶ島町内で引っ越した後の新しい家でのできごとだということです。兄は大学に進学すると鶴ヶ島の家から出たので、兄が温度計を見たということは、兄がまだ鶴ヶ島の家にいた間ということになります。

つまり、1975年から1979年の5年間ということになります。

観測地点としては比較的鶴ヶ島と距離的にも地形的にも近い所沢の気温を使いたかったのですが、気象庁の「過去の気象データ検索」ページでは、所沢の日ごとの最低気温は1977年12月21日からしか検索できませんでした。

埼玉県内では欲しかった期間の気温データは熊谷のみしか見つからなかったので熊谷のデータを期間指定してダウンロードして見てみます。この間の最低気温を見てみるともっとも低かったのは1976年1月22日の -8.4℃でした。最低気温は午前6時前に記録され、6時でも -8.0℃だったようです。

兄が温度計を見て言った「マイナス9度」の正確さは今となってはわかりませんが、あの日ほど寒かった記憶はあの頃他にあまりなかったので、暫定的に1976年1月22日の出来事だったということにしておきます。

1976年1月22日の良く晴れた朝、兄は中学校へ私は小学校へ行こうと玄関のドアノブに手をかけた瞬間、寒さで手がドアノブに張り付いたということでしょうかね (多分)。

ちなみに熊谷と所沢の日々の最低気温をこの間の両方のデータがそろっている時期 (1977/12/21 – 1979/4/1) で比べてみると、特に冬場の寒い時期は熊谷の方が若干最低気温が低い傾向があるようです。熊谷は全国的に見ても最高気温が高いことでも有名ですが、所沢と比べると最低気温も低くなりやすいようです。


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