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「ジャコビニ・ジンナー彗星」

「10月りゅう座流星群」が10月9日ころ極大を迎えたそうですが、日本では観測されたのでしょうか?

天気が良かったとしても月が明るかったので、観測は難しかったかもしれません。私の住む南国も街中はとても明るく、おそらく月が出ていなかったとしても観測は非常に難しかったと思います。車で1時間ほど郊外に行けば、街の明かりに邪魔されないかなり暗い夜空を楽しめますが、そこまで気合が入りませんでした。

現在は「10月りゅう座流星群」と呼ばれるこの流星群は、かつては「ジャコビニ流星群」と呼ばれていました。

流星の元となる物質を地球の軌道付近にまき散らしていった母天体は、「ジャコビニ・ツィナー(Giacobini-Zinner) 彗星」(ジャコビニ・ジンナー彗星、ジャコビニ・ツィンナー彗星、ジャコビニ・チンナー彗星とも記述されることもあるようです) と呼ばれる彗星です。

1900年にミシェル・ジャコビニが発見し、1913年にエルンスト・ツィナーが再発見したことからこのような名前で呼ばれています。

現在は流星群の名前に母天体の彗星名は使わないとの決まりがあるそうで、ジャコビニ流星群から「10月りゅう座流星群」と呼び名が変わったそうです。

1933年にヨーロッパで、1946年にはアメリカで1時間に1000個以上流れる「流星嵐」が観察されたという記録があるそうで、私が子供の頃の1972年には雨のように流星が見られるかもしれないと大変話題になりました。

子供向け科学雑誌や、学習雑誌にも「流星雨」の特集記事が掲載され、極大を迎えるころには毎晩夜空を見上げていました。

しかし、残念ながら1972年には期待したほど流れ星は流れませんでした。

下の絵は1833年(右)と1866年 (左) のしし座流星群の様子を描いた絵だということですが、こんな風に見えるかもしれないと雑誌などに載っていたので、もう本当にワクワクしていたのに残念でした。

ウィキペディア「流星群」@2022年10月11日より

しかし「ジャコビニ流星群」の話題のおかげで、流星のことやその母体となる彗星のことなどを知ることができて、勉強にはなりました。

このころ住んでいた埼玉県鶴ヶ島町 (現在の鶴ヶ島市) は、街の明かりもそれほどなく夜はかなり暗かったので、天の川も見ることができました。本当に雨のように流星が流れたらきっとすごい光景だったことでしょう。

日本ではその後、1985年と1998年に1時間あたり100個程度の流星の出現が観察されたそうですが、私は記憶にありません。85年は大学の卒論でそれどころではなかったのか、98年は海外に出ていてそれどころではなかったのか、話題になっていたのかさえさだかではありません。

最近のニュースで「10月りゅう座流星群」の記事を読み、それが子供の頃話題になった「ジャコビニ流星群」のことだと知り、当時子供ながらに友達や家族と何度も口にしていた「ジャコビニ・ジンナー彗星」 (当時私はそう呼んでいました) を思い出しました。

いつかは嵐のように降りしきる流星雨を見てみたいものです。

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